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2010/11/29

邪馬台国と卑弥呼-12  祟神天皇  邪馬台国と卑弥呼

天皇には「ハツクニシラススメラミコト」と呼称される人物が二人います。  初代の神武天皇(BC660-BC585)と第10代の祟神天皇(BC97-BC30)であります。  これは「初めて国を開いた天皇」という意味であるので、意味深です。

日本を最初に治めていたのは出雲の豪族でヤマトにやってきた物部氏、邪馬台国は1世紀から3世紀に倭国に合った国でなので、私の解釈では祟神天皇は邪馬台国を最初に治めた天皇だと考えています。  ちなみに、神武天皇は、古代イスラエルの失われた10支族のエフライム族の話をあてはめた、もしくは本当の子孫、さらにアレキサンダー大王東征の話をあてはめたとしています、目的は天皇の権威をつけるためです。

また、本当に大和政権を確立したのは、応神天皇(神話の世界)=仁徳天皇(現世)で、神功皇后が幼子の応神天皇を連れて東征した話と神武天皇を重ねているのだと考えています。


初代  神武天皇   紀元前660年1月1日−紀元前585年3月11日(在位)
10代  祟神天皇   紀元前97年1月13日−紀元前30年12月5日 (在位)
14代 (仲哀天皇)   192年1月11日−200年2月6日(在位) 
     神功皇后    170年−269年6月3日(生誕から崩御)
               201年−269年6月3日(在位)   
15代  応神天皇   270年1月1日−310年2月15日(在位)
16代  仁徳天皇   313年1月3日−399年1月16日(在位)

*神功皇后は、仲哀天皇の奥さんです。


邪馬台国と卑弥呼-4  名前に神の文字を持つ天皇
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1251.html
邪馬台国と卑弥呼-5  神武天皇
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1252.html


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2010/11/28

邪馬台国と卑弥呼-11  二人の卑弥呼  邪馬台国と卑弥呼

邪馬台国と卑弥呼の謎解きも、終盤を迎えてきましたが、二人の卑弥呼といっても卑弥呼と台与の事ではありません。  

また、邪馬台国には北九州説と畿内説があり、それぞれ卑弥呼がいたとして主張していますが、私はどちらも正しいという考えを持っています。  何のコッチャと言われるかも知れませんので、結論を先に言ってしまえば、



邪馬台国には女帝卑弥呼(=神功皇后)がヤマトに立っていて、九州勢力と激しい権力争いをしていた。  形勢はあきらかにヤマト側が有利であり、瀕死の九州勢力は、北九州の山門(やまと)の女首長である田油津媛を女帝卑弥呼と偽り、魏に朝貢を行い味方につけ、起死回生の逆転を狙った。  

これに怒り、事態を重く見た神功皇后は、田油津媛を誅殺し、北九州を平定して、新羅征伐に向かった。 しかしながら、卑弥呼が魏から倭国王の称号を得てしまったので、卑弥呼を誅殺した事は、大国魏を敵に回す事になるので、魏志倭人伝の卑弥呼は死んだが、台与(=神功皇后)が立ったことにした。

よって、日本の正史である「日本書紀」には、魏への手前、真実を書くことが出来ず、神功皇后が卑弥呼+台与の時代を生きた事にした。  そして、神功皇后は台与として、何もなかったかのごとく、再び魏に朝貢した。   



という説を、私はとっており、この考え方の基本は、本居宣長の邪馬台国偽僭説と呼ばれているものです。 



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2010/11/28

邪馬台国と卑弥呼-10  徐福と浦島太郎  邪馬台国と卑弥呼
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神仙思想は、紀元前4世紀頃に中国で芽生えた思想で、修行をし、不老不死を獲得したり、その境地に達することを目的としたもので、中国からみて東方、山東半島の沖渤海湾よりもはるかかなたに蓬莱・方丈・瀛洲という三つの神山があり、そこに仙人が住み、黄金の宮殿ウを抱く理想郷があると信じられ、そこに不老不死の薬があるといわれてきました。

秦の始皇帝の時代、不老不死の薬を求めて徐福が多くの人々を従えて旅立ち、日本に旅立ち、その王になったとされており、日本各地で渡来伝説が語り継がれています。 また、徐服の子孫が「秦氏」と名乗ったともされており、確かに秦の時代の有力者だけに、この説も否定できるものではなく、邪馬台国は1〜3世紀に倭にあった国ですが、紀元前3世紀に日本に渡ってきた徐福の存在は、日本建国になにがしかの影響を与えていたと考えても不思議ではありません。

浦島太郎伝説は、神仙思想に満ちており、丹後国に伝わる徐福・浦島太郎伝説は、邪馬台国・大和政権の成立に大きく関与していると思います。



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2010/11/27

邪馬台国と卑弥呼-9  住吉大社  邪馬台国と卑弥呼
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住吉大社    
http://www.sumiyoshitaisha.net/

   祭神  第一本宮 底筒男命
        第二本宮 中筒男命
        第三本宮 表筒男命
        第四本宮 神功皇后


住吉大社のご祭神の由緒は、伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)が、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 (いざなみのみこと) を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、逆に汚れを受けてしまい、その汚れを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命 (そこつつのをのみこと) 、中筒男命 (なかつつのをのみこと) 、表筒男命 (うはつつのをのみこと) が生まれたとされており、この三体で住吉大神(=武内宿禰=浦島太郎)です。 三位一体のイエスキリストをイメージすれば分かり易いでしょう。 祭神には、もう一人おられ、これが神功皇后です。


武内宿禰(=住吉大神)は、神功皇后に仕えていましたが、仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は住吉明神と夫婦の秘め事を行ったと、住吉大社神代記に残されており、住吉大社を建てたのは神功皇后、また皇后自身も住吉大神と一緒に住みたいとされ、神功皇后もともに御祭神として祀られています。


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2010/11/27

邪馬台国と卑弥呼-8  神功皇后と台与  邪馬台国と卑弥呼

魏志倭人伝には、3世紀半ばに、卑弥呼が没した後、いったん男王が立てられるも国中服さず、台与が擁立されたとありますが、台与の時代はちょうど桜井に纒向遺跡がつくられた時代で、日本書紀の神功皇后摂政紀に魏志倭人伝の記事を挿入し、卑弥呼と神功皇后が同一人物と匂わせながらも、卑弥呼が亡くなったのは247年であるにも関わらず、台与の時代も神功皇后(170-269)の時代としており、やはり神話の中での神功皇后は古代の天皇家における女帝として扱っていると考えられます。

すなわち、神功皇后=(卑弥呼+台与)という事です。
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2010/11/24

邪馬台国と卑弥呼-7  武内宿禰(たけうちのすくね)    邪馬台国と卑弥呼
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応神天皇を抱く武内宿禰と神功皇后


武内宿禰(84-367)は、邪馬台国から大和朝廷建国にかけた、景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇に仕えた、古事記・日本書紀に登場する伝説的人物で、蘇我氏・葛城などの中央豪族の祖とされています。

その容貌は、浦島太郎そっくりで、300年も長生きしている事、また浦島太郎が玉手箱を開けたとき実は300年経っていた事などを考えて、武内宿禰=浦島太郎=住吉明神(塩土老翁)と考えてよいでしょう。  

武内宿禰は、神功皇后に仕えていましたが、仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は住吉明神と夫婦の秘め事を行ったと、住吉大社神代記に残されており、住吉大社を建てたのは神功皇后、また皇后自身も住吉大神と一緒に住みたいとされ、神功皇后もともに御祭神として祀られています。

神功皇后は、応神天皇を身ごもったまま新羅成敗に向かわれますが、仲哀天皇の死亡時期と、応神天皇の生まれた時期が合わないので、応神天皇は住吉明神(=武内宿禰)と神功皇后の子供であると考えられます。


住吉大社
http://www.sumiyoshitaisha.net/


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2010/11/23

邪馬台国と卑弥呼-6  新嘗祭  邪馬台国と卑弥呼
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稲作をする天皇陛下


今日は、勤労感謝の日ですが、11月23日は明らかに新嘗祭を意識して定められた日でしょう。

新嘗(にいなめ)とはその年収穫された新しい穀物のことで、新嘗祭は古くからの国家の重要な行事であり「瑞穂の国」の祭祀を司る最高責任者である大王(おおきみ,天皇)が国民を代表して、農作物の恵みに感謝する式典。


海外では、労働は奴隷階級が行うものとされていますが、日本では天照大御神が機織をし、天皇陛下が稲作を行っています。  労働に対する価値観の違いです。 
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2010/11/23

邪馬台国と卑弥呼-5  神武天皇  邪馬台国と卑弥呼

初代天皇である、神武天皇(在位:紀元前660年1月1日−紀元前585年3月11日)ですが、


神武天皇の正式名 「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」 は、日本人が聞いても何のコッチャ分かりませんが、古代ヘブライ語アラム方言では、 「サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者」、 

天皇の公式名 「スメラ・ミコト」 は 「サマリアの大王」 を意味し、天皇の古称 「ミカド(帝)」 はヘブライ語で 「ガド族出身の者」 、ガド族の始祖ガドの長男の名前は 「ニェポン(ニッポン/英語ではジェッポン)」、

大和朝廷の「ヤマト」は、「ヤ・ウマト」と分解され「神の民」という意味になります。



*サマリアは、北イスラエル王国の首都

 

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2010/11/22

邪馬台国と卑弥呼-4  名前に神の文字を持つ天皇  邪馬台国と卑弥呼

天皇家は、初代の神武天皇に始まり、第125代の今上(きんじょう)天皇にまで続いていますが、名前に神の文字を持つ天皇はわずかしかおられません。



初代  神武天皇   紀元前660年1月1日−紀元前585年3月11日(在位)
10代  祟神天皇   紀元前97年1月13日−紀元前30年12月5日 (在位)
14代 (仲哀天皇)  192年1月11日−200年2月6日(在位) 
     神功皇后   170年−269年6月3日(生誕から崩御)
              201年−269年6月3日(在位)   
15代  応神天皇   270年1月1日−310年2月15日(在位)
16代  仁徳天皇   313年1月3日−399年1月16日(在位)


*神功皇后は、仲哀天皇の奥さんです。



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2010/11/21

邪馬台国と卑弥呼-3  日本神話とギリシア神話  邪馬台国と卑弥呼
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ギリシア神話  オルフェウスとエウリュディケ (イザナギ・イザナミの話とソックリ)


これはギリシア神話の一シーンで、詩人・音楽家で竪琴の盟主オルフェウスが、冥界にくだり、死んだ妻エウリュディケを連れ戻そうとしますが、後ろを振り向いてはいけないと言われたのに振り向いてしまい、望みを果たせず、その死後、竪琴は天に上って琴座となった話です。

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