renaissancejapn2020@gmail.com

2010/12/13

邪馬台国と卑弥呼-24  稲作と海人族  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
照葉樹林文化圏とナラ林文化圏


中国南部から伝わった稲作は、またたくまに日本国中に拡がってゆきますが、それを担ったのは半農半漁の海人族です。

その証拠に、古代米(熱帯ジャポニカ米)の炭化米が発掘された地域は、九州北部(阿曇氏・宗像氏・宇佐氏)、宮崎(久米氏)、愛媛(越智氏)、出雲(賀茂氏)、岡山(吉備氏)、若狭(息長氏・阿部氏・吉備氏)、滋賀(和珥氏・息長氏)、静岡(賀茂氏)、千葉(斎部氏)、富山(息長氏)、津軽(阿部氏)と、代表する海人族の本拠地であります。

基本的には、気候の影響で、日本列島における稲作は、照葉樹林文化圏に根付き、海人族の影響範囲もこの照葉樹林文化圏になりますが、海人族の行動範囲は山奥にも拡がっています。 長野県南安曇郡穂高町にある穂高神社は、山奥にありながら、9月27日に「御船祭」があり、穂高は、天孫降臨の地「高千穂」をイメージさせるものがあります。


御船祭
http://www.youtube.com/watch?v=Nsd52orkxiA&feature=related


海人族と山奥の関係は、船を作るために、大きな樹木をとるため、川を遡ったためですが、この時、船には走るのは遅いが力を持っている農耕馬を乗せており、この農耕馬に樹木を曳かせていました。

よって、意外かも知れませんが、海人族は馬肉を食べる習慣があり、その習慣は鹿児島や長野での海人族に見られます。 馬と聞けば、何でも騎馬民族と考えるのは、よくありません。


また、海人族の特徴は、半農半漁のみならず、交易の一面を持っており、莫大な財産をもっていつことが多く、壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)が身一つで吉野の山奥に逃れ、天智天皇の正規軍を破りますが、これも海人族の援助を得たからであり、源頼朝が伊豆に流され、その後、天下をとりますが、海人族の三浦一族の援助を得たからであります。


額田王(ぬかだのおおきみ) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/846.html


日本の国宝・重要文化財の約80%を占める財宝を所蔵しているのが、愛媛県今治市の大三島にある、全国各地の三島神社の総本山の大山祇神社でありますが、日本総鎮守とも呼ばれる神社であります。  いうまでもなく、天津(あまつ=海津)系の半農半漁の海人族の神社で、稲の精霊と相撲をとる抜穂祭一人相撲は有名です。



続きを読む
4


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ