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2011/1/30

邪馬台国と卑弥呼-72  ローマ帝国でのキリスト教徒迫害  邪馬台国と卑弥呼
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映画 Quo Vadis (主よいずこへ)の1シーン  ネロ皇帝によるキリスト教徒迫害


邪馬台国を紀元1〜3世紀の出来事とするならば、紀元1世紀はイエスキリストが十字架に架けられた後、ローマ帝国のカリグラ皇帝(在位37-41)やネロ皇帝(在位54-68)により、キリスト教徒への迫害が増した時期であります。

キリスト教徒が迫害を受けるキッカケとなったのは、カリグラ皇帝が自ら神宣言を行いましたが、キリスト教徒がそれを認めなかったからであります。

特に、ネロの時代の迫害は酷く、キリスト教徒をローマの円形闘技場に入れて、ライオンを放ち、キリスト教徒をライオンの餌としたり、多くのキリスト教徒を十字架に架けて、夜の灯りをとるために火あぶりにしたりしました。  
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2011/1/30

邪馬台国と卑弥呼-71  ユダヤの記憶 戸来村  邪馬台国と卑弥呼
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青森県新郷村(旧戸来村)戸来地区にあるキリストの墓


戸来(ヘブライ?)村に、イエスキリストの墓があるとの伝承があるようですが、かなり怪しいと思われるものの、村の名前が戸来(へらい)とヘブライに良く似ており、キリスト伝説があり、

この墓を守り続けた旧家の沢口家の家紋が、ユダヤゆかりの五芒星(ソロモンの星)で、日本では、京都の御所、二条城の近くにある陰陽で有名な、晴明神社の社紋と同じです。 さらに、中世のテンプル騎士団が使っていた魔よけのシンボルマークも、この五芒星(ペンタグラムであります。)



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晴明神社の社紋 (陰陽師)
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2011/1/29

邪馬台国と卑弥呼-70  阿波忌部  邪馬台国と卑弥呼
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忌部神社    徳島県徳島市二軒屋町
http://www.genbu.net/data/awa2/inbe_title.htm


忌部神社は、旧社格が国幣中社と格式ある神社で、ご祭神の天日鷲神(あめのひわしのかみ)は、日本神話に登場する神で、阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波(あわ)忌部氏(いんべし)の祖神であります。


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2011/1/29

邪馬台国と卑弥呼-69  ユダヤの記憶 大麻比古神社  邪馬台国と卑弥呼
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大麻比古神社     徳島県鳴門市大麻町
http://www.ooasahikojinja.jp/

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大麻比古神社の社紋  (ダビデマーク?) 



大麻比古(おおあさひこ)神社は、旧社格が国弊中社と由緒正しく、ご祭神は大麻比古大神と猿田彦大神であります。

大麻比古大神は、大昔に阿波国を開拓した阿波の忌部氏(いんべし)の大祖先で、神武天皇の御代に忌部氏の子孫が、阿波国に入り国土を開拓して、麻とか楮(かじ)の種を播いて麻布とか木綿をつくり、郷土の産業の基を開き、人々の福利を進められました。

その氏族は今の吉野川市 元の麻植郡を拠点として開拓をされましたが、国土開発の事業が漸く成った後に御先祖の神様、天日鷲命(あめのひわしのみこと)をおまつりしました。 

この神社が今徳島市に忌部神社としてまつられており、忌部神社のご祭神、天日鷲命の大先祖の神様が天太玉命(あめのふとたまのみこと)で、此の神様を大麻比古神社と申し上げ、郷土の守り神としてこの地におまつりしたのが大麻比古神社と伝えられています。

ちなみに、天太玉命は、天照大御神の岩戸神話で、祭祀儀式に登場する氏族の一人です。


祭祀支族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1076.html


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2011/1/26

邪馬台国と卑弥呼-68  ユダヤの記憶 磐境神明神社  邪馬台国と卑弥呼
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白人(しらひと)神社の奥の院 磐境神明(いわさかしんめい)神社の祭祀場


アーク伝説のある、徳島県の剣山の麓、穴吹町にある白人神社の奥の院 磐境神明神社の祭祀場は、古代イスラエルの祭祀場そのものであると、元駐日イスラエル大使のエリ・コーヘン氏が公式訪問した場所であります。


そして驚くことに、2000年以上前に、この礼拝所の祭壇を築いたといわれる75人の宮人の子孫が、現在でも氏子としてこの神社を守っており、この75人の氏子の人たちは、身を汚さないために、生涯汚れた仕事をしてはいけないとされています。



剣山アーク伝説高画質版
http://www.youtube.com/watch?v=Jy_9ZQvilZ8&feature=player_embedded#!
邪馬台国と卑弥呼-67  ユダヤの記憶 曽根天満宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1315.html



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2011/1/24

邪馬台国と卑弥呼-67  ユダヤの記憶 曽根天満宮  邪馬台国と卑弥呼
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一つ物神事  曽根天満宮 兵庫県高砂市


中近東の写真かと思いきや、実はこれは、兵庫県高砂市にある曽根天満宮の一つ物神事であります。  この神事は、毎年10月13日、14日に行われます。

中近東の服を着た従者に囲まれた男の子、一つ物とは、ひとつしかない大事なものを意味し、すなわち神の子イエスキリストであります。 

そして、この男の子の額には、ヤハヴェ(ユダヤ教の神)を表す「八」の文字が描かれ、神の子を招く大きな掛け声が「ヨイヨベー!」。  日本語的には何のコッチャか分かりませんが、アラム・ヘブライ語で、「ヨベルの日」と言っています。  

ヨベルの日とは、ユダヤでは、神の恵みによって、救いと開放がもたらされるとされる日であります。

 
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2011/1/23

邪馬台国と卑弥呼-66  阿佤 Awa / 佤族舞蹈  邪馬台国と卑弥呼
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阿佤 Awa / 佤族舞蹈 Wa Folk Dance
http://www.youtube.com/watch?v=26xRKadlQRo&feature=related


中国の倭族の舞踏ですが、私には意味が分かりませんが、阿佤 Awa (阿波?)のタイトルと、この曲の調べが、なにか懐かしい童謡を聴いているようです。



邪馬台国と卑弥呼-55  卑弥呼の踊り
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1303.html 
邪馬台国と卑弥呼-45  滇(てん)王国  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
知られざる文明、滇(てん)王国
http://www.youtube.com/watch?v=rtNaycM308U&feature=related
邪馬台国と卑弥呼-25  苗(みゃお)族 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html




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2011/1/23

邪馬台国と卑弥呼-65  出雲国風土記と記紀神話の不一致  邪馬台国と卑弥呼
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「スサノオのオロチ退治」 のモニュメント


出雲と聞けば、スサノオの八俣のオロチ退治の伝説が有名ですが、

かなり衝撃的ではありますが、「出雲国風土記」には、この話自体が存在しないのをご存知でしょうか。  よって、スサノオがオロチから救出したクシナダ姫の伝説もありません。

また、国生みの話でも、出雲国風土記では、次のような話が伝えられておりますが、

「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は、出雲の国は狭い若国(未完成の国)であるので、他の国の余った土地を引っ張ってきて広く継ぎ足そうとした。 そして、佐比売山(三瓶山)と火神岳(大山)に綱をかけ、以下のように「国来国来(くにこ くにこ)」と国を引き、できた土地が現在の島根半島であるという。」

この神話は、古事記にも日本書紀にも記されておらず、出雲国をつくった祖である八束水臣津野命は、古事記には何の説明もなく1回名前が出るだけで、日本書紀に於いては出雲国をつくった神の名前すらでてきません。  さらに、出雲国風土記では、国譲りの話でも、国譲りを要求した高天原の武人である建御雷之男神も登場しません。


いやいや、日本書紀や古事記は自分の都合の良いように書いているだけで、スサノオのオロチ退治は出雲にあった話だといってみても、その出雲国風土記に記述がまったくなく、逆に日本書紀や古事記に書かれているのです。  神話研究家の常識では、出雲国風土記の多くの伝承の中で、記紀に共通もしくは近似性のある伝承があるかといえば、ほとんど見出せないとされています。 


この矛盾を解決するのが、実は古事記の出雲神話は、四国の阿波(徳島)を舞台にしたイツモ神話であり、出雲神話の舞台が島根県の出雲だとする常識は、過去のものとなり、封印されていた阿波東部の海岸全域に広がるイツモが最近の研究では浮上してきているようです。

まだ、私も勉強中ですが、どうも中国江南地方からやってきた海人族は、南九州、さらに北九州、四国・中国地方の瀬戸内海の島々に住み着き、淡路島・阿波にその拠点をもち、そこから力をつけながら日本全国に勢力を広げていったという感じでしょうか。

まあ、確かに、よそ者がやってきて場合、誰も住んでいない島にまず住み着くのが安全というものです。 そこで、苗族の鹿信仰と日本の島々の鹿信仰が結びついたのかも知れません。 船に乗った鹿を描いた土器が発見されていますが、これは大人しくて体の大きな鹿を食料として乗せていたのだと思います。 鹿児島、志賀島、鹿島、など、鹿の名前がついた島が多く、西日本の多くの島には鹿がいます。


邪馬台国と卑弥呼-34  苗族と鹿信仰
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1281.html
邪馬台国と卑弥呼-27  苗族の天岩戸伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1274.html
邪馬台国と卑弥呼-31  苗族の結婚と日本神話
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1278.html
邪馬台国と卑弥呼-36  犬頭人
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1283.html
邪馬台国と卑弥呼-37  苗族の闘牛
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1284.html
邪馬台国と卑弥呼-54  呉服 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1302.html


今日、常識となっていますが、この中国の江南地方からやってきた海人族が、船で稲作を広めていったという事なのでしょう。


稲作伝来
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1247.html
邪馬台国と卑弥呼-51  稲作伝来-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1298.html

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2011/1/22

邪馬台国と卑弥呼-64  阿波 多祁御奈刀弥神社   邪馬台国と卑弥呼
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多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社    徳島県名西郡石井町諏訪213−1
http://www.genbu.net/data/awa2/minatomi_title.htm



この多祁御奈刀弥神社のご祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)で、地元ではこの神社は、「諏訪大明神」「お諏訪さん」「元諏訪」「諏訪大社元宮」と呼ばれているそうです。

出雲神話の国譲りで、高天原からの使いで、建御雷命(たけみかずちのみこと)が、葦原中ツ国を譲るよう要求してきます。 大国主命は、二人の子供に意見を聞きますが、事代主神(ことしろぬしのかみ)は国譲りに承諾しますが、もうひとりの息子、建御名方命(たけみなかたのみこと)は反対します。 そこで、建御名方命と武甕槌神の間で力競べが行われ、オオクニヌシの息子が敗れてしまいます。そのために、とうとう国譲りが実行されるのです。 敗れた建御名方命は諏訪まで逃げ、その地に引き籠もって諏訪神社の祭神になったとされています。


一般論では、諏訪大社の建御名方命は、国譲りの後、出雲から諏訪に移ったとされていますが、多祁御奈刀弥神社の社伝では、「諏訪大社は当社から宝亀10年(779年)に移遷された」
とあります。  

そして、これを裏付けるかのように、不思議な事は、事代主神の名を冠した式内社は、出雲や島根には一社もなく、徳島にしかないようなのです。 


事代主神社
http://www.genbu.net/data/awa2/kotosiro_title.htm
 

この神社のある地名の諏訪も意味ありげですし、徳島市や名西郡辺りの地名は、昔は名方郡だったようで、まさしく建御名方命は、この地の人であった可能性が高いことが分かりませす。
 

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2011/1/22

邪馬台国と卑弥呼-63  阿波 伊射奈美(いざなみ)神社   邪馬台国と卑弥呼
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伊射奈美神社   徳島県美馬市穴吹町三島字舞中島


国生みのイザナギとイザナミの話では、淡路島、四国、隠岐の島、九州、壱岐島、対島、佐渡島、畿内(本州)と、八つの島々を次々と生み出した後、さらに風、水、海、山、草など次々に神を生んでいきました。 しかし、ホノカグツチを生む際、イザナミは陰部を焼かれ命を落としてしまい、イザナギは、出雲国(島根県)と伯耆国(鳥取県)の境にある「比婆山」にイザナミを葬りました。

イザナミを恋しく思うイザナギは、黄泉国へイザナミを迎えに行きますが、イザナミは「もう自分はこの国の食べ物を食べてしまったのでもう戻れません!」と告げます。  落ち込んでいるイザナギを見てイザナミは、「 黄泉国の神様に相談して、戻れるかどうかもう一度聞いてきます。その間、決して覗いたりしないで下さい 」と言いました。

しかし、待ちきれなくなったイザナミは、は、約束を破ってしまい、覗き見たのは、なんと8柱の雷神が体に付きまとい、ウジの湧いたイザナミの死体ではあります。  恐ろしくなってイザナギは逃げ出してしますが、自分の夫に約束を破られ恥をかかされたしまったイザナミは、魔物とともに後を追いかけてきます。 身に付けているものを使って色々な食べ物に変え、逃走を続け、何とかヨモツヒラサカまで逃げ延びる事が出来ました。

そして近くにあった巨大な岩でヨモツヒラサカを塞ぎました。  岩をはさんで、イザナミが「お前の国の人間を一日1000人殺してやる」というと、「それならば私は、一日1500の産屋を建てよう」とイザナギは言い返しました。

黄泉国から帰ったイザナギは、日向の橋の阿波岐原で、体を清めますが、左目をすすぐとアマテラスが、右目をすすぐとツクヨミが、鼻をすすぐとスサノオが生まれました。


     星のシルクロード・ダイジェスト(前半)
     http://www.youtube.com/watch?v=yYyNP2_CLJk&feature=related
     星のシルクロード・ダイジェスト(後半)
     http://www.youtube.com/watch?v=LmmzdYZgz8w

              


この話から、イザナミを祀った由緒正しい式内社が、出雲国(島根県)か伯耆国(鳥取県)にあるのかと思いきや、実際、こうした式内社は一社もなく、

驚く事に、日本のグレートマザーというべき、イザナミの名を冠した式内社があるのは、徳島県美馬市穴吹町三島字舞中島にある 「 伊射奈美(イザナミ)神社 」 だけであります。 
 


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