2011/4/30
日本の災難 民主党 国際政治・金融・企業
癌患者を前に、治す能力も持ち合わせていないのに、口先だけで治せるようなハッタリをかましているような医者(民主党)に命を預けているような状況が、今の日本国民であることを認識する事が必要です。
さすが、人材の層が厚い自民党からは、この国家的な危機に、優秀な若手政治家が現れてきています。 この国の政治家で、当たり前のことを、当たり前に考え・認識できるのは、自民党の新人たちを中心としたグループしかないのかも知れません。
【売国民主党】11・9 大型新人 齋藤健が言っちゃった! 政府を激しく叱責
http://www.youtube.com/watch?v=1OIksLgw_yU&feature=related
管首相64歳、小泉進次郎自民党議員29歳に説教される
http://www.youtube.com/watch?v=gtHqn9yBPIk&feature=related
イケメン小泉進次郎議員「財源なき民主マニフェストすでに破綻」
http://www.youtube.com/watch?v=HBIfEcIM6IA&feature=related
蓮舫VS小泉進次郎 事業仕分けで真っ向対決(10/10/27)
http://www.youtube.com/watch?v=2E-DTNGJ_c8&feature=related
朝鮮で活き活きと反日活動をする岡崎トミ子
http://www.youtube.com/watch?v=H5s19mA4cjM&feature=related
【事務方GJ】 売国奴と嘘つき ? を追及する西田議員 謎の拍手
http://www.youtube.com/watch?v=aVUKiK0TayA&feature=related
よく耳をほじくって刮目して 〜仙谷官房長官
http://www.youtube.com/watch?v=THm5MsuhQ1g&feature=related
都市であろうと、国家であろうと、規模の大きな組織体ならば、時が経つにつれて欠陥があらわれてくるのを避けることはできない。 それ故、「医者」が必要となってくる。 つまり、時代の変化につれて変わってくる要求に対応できるような、制度の改革が必要になってくるのである。 ただし、この場合の「医者」もヤブ医者であっては困る。 改革の必要性が高ければ高いほど、それをできる力量豊かな人物の登用が求められるのである。
−政略論:マキアヴェリ−

2011/4/29
低脳内閣 アホ菅と豚野 国際政治・金融・企業

菅首相が、震災に対応する官邸内の組織の乱立を見直さなければならないと述べましたが、馬鹿みたいにつくったのは、アホ菅と豚野です。
約20個ほどの混乱する組織をつくった彼らですが、国会で公明党の加藤修一氏が「会議名を知っているか?」と菅首相に聞いたところ、アホ菅は答えられず。
組織をつくると官僚は、資料作りなどの事務仕事に追われ、思いつきでつくった組織なので、各省庁や大臣、本組織の誰が司令塔なのか、また決定権は誰がをもつのか不明確。 実務は混乱・滞り、困っている被災地の人たちへの対応が約1ケ月以上も遅れ、1ケ月たっても、風呂にすら全く入れていない避難所が多くある事が判明しました。
心身ともに疲れきった被災地の方々が、今も避難所で段ボール一枚の仕切りで、プライバシーのない生活を送っていると思うと、本当に、この民主党政権には腹が立ってきます。
また、事業仕分けで津波対策のスーパー堤防の廃止を判定した蓮舫を節電啓発担当相に、そして平成7年の阪神淡路大震災の際、被災地で反政府ビラをまいた辻元を災害ボランティア担当の首相補佐官に任命した、アホ菅と豚野の感覚は理解しがたいものがあります。
アホ菅と豚野は、さることながら、他の民主党のお偉方は何をやっているのでしょう。
この民主党政権は、日本史に残る貧乏神政権でしょう。


この写真を見て何を感じるか、君達の魂が試されている。
もっと真面目にやれ!

2011/4/27
アホの小沢君 泣きかけ 国際政治・金融・企業

水谷建設前社長が、小沢一郎の大久保元秘書から現金1億円を要求され、小沢事務所に裏金を支払った事を供述しました。
「秘書がやったことで、わしゃ知らん」といい続けている小沢君ですが、世間の大人の世界では、そんなお馬鹿な話は通用しませんよ〜。 もっとお勉強して、早く世間の大人レベルになってね。
あっ、それからマジ泣かないでね!
「1億円支払った」裏献金を証言 水谷建設元社長(11/04/27)
http://www.youtube.com/watch?v=r4qIoQlWKy8
最近、不審死が多い 【小沢一郎、西松建設違法献金】【鳩山故人献金】
http://www.youtube.com/watch?v=LXPNLsNFkvg&feature=related

2011/4/26
邪馬台国と卑弥呼-88 大嘗祭とバビロニア新年祭 邪馬台国と卑弥呼

大嘗祭 1990年11月23日の殿下
宮廷の即位式に、「大嘗絵の祭儀(だいじょうえのさいぎ)」というものがあり、ニニギが高天原から下るとき、タカミムスビが、「真床追衾(まどこおうふすま)」でニニギを覆い、稲穂を持って下らせたとあります。
この「真床追衾」とは、寝床を覆う衾、つまり「夜着」の事で、「大嘗絵の祭儀」では天皇はこれを着て臥し、それに覆われて、神話の降臨を再現して神霊を受けるものです。 昔は、毎年行われていましたが、天智天皇が大化の改新のとき、即位式のとき1回行うのみに定められました。
古代バビロニアの新年祭でも、皇帝は年末に形式的に退位し、新年に新に即位します。 このとき、天地創造の神話を、自らが主神マルドウクの役となり、祭儀劇で演じました。
天皇家の紋章
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/242.html
天皇家 もう一つの紋章
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/244.html

2011/4/25
邪馬台国と卑弥呼-87 禊 (みそぎ) 邪馬台国と卑弥呼
イザナギは、黄泉の国でイザナミの死体を見たため、死の穢れにふれたので、海に入って禊を行いましたが、この風習は古くからあり、「魏志倭人伝」に邪馬台国では死者を葬った後、家族のものは全員水中に入って禊を行っていると記されています。
このような風習は、中国や韓国には見られず、ユダヤ教徒がミクヴェ(宗教的浴槽)で体を清めるに似た、禊という宗教的沐浴の歴史は古く、主としてそれが海水で行われていたので、葬儀などから帰って家に入るとき「塩をまく」という風習が今でも起こっています。

2011/4/24
邪馬台国と卑弥呼-86 伊勢神宮と登呂遺跡 邪馬台国と卑弥呼

神饌(しんせん)を調理するために、忌火(いみび)をきりますが、
これは登呂遺跡から出た弥生時代のものと同じ火きり具。
伊勢神宮の内宮は、「日本書紀」によれば、水仁天皇の時、現在の地に遷宮がなされたとしています。
この神宮が、毎朝、火きり具で火を起こしていますが、この形式は登呂遺跡で発掘されたものと同じです。 そして、自らの田を3町歩ほど持ち、これに稲を植え、穂刈をして高床式の倉におさめ、毎朝これをうすで脱穀。 また、塩も自らの塩田で「万葉集」にでてくるような堅塩をつくり、神饌を盛る土器も昔のとおりに造られています。
この神饌の基本は、ご飯と塩と水、鰹節、鯛(夏季は干物)、昆布、荒布などの海産物と野菜、果物、そして酒で、朝夕2回捧げられ、古代のままであります。 これを大宮司以下が行っており、彼らが行っているのは祭祀であって、「営農」ではありません。

2011/4/23
邪馬台国と卑弥呼-85 銅鐸のルーツ 邪馬台国と卑弥呼

中国江蘇省無錫市の越時代の貴族墓から出土した鐸
中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる墓から、原始的な磁器の鐸が見つかっています。
南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した鐸と異なり、日本の弥生時代の銅鐸によく似ており、中国側研究者からは「日本の銅鐸は越から伝わった可能性があるのでは」とされています。 鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12〜18センチの鐘型。肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の姿を模したつり手が付いています。
同博物院などの説明では、黄河流域を中心に中国各地で出土してきた鐸は上部に手で持って鳴らすための細長い柄が付いたものばかり。 日本の銅鐸と似たつり手の付いた鐸が、長江(揚子江)下流域の呉(?〜紀元前473)と越(?〜紀元前334)に存在していたことが歴史書にあるものの、2006年に実際に中国で出土しています。 楚に滅ぼされた越から日本に逃れ、稲作の伝来と同時に、この銅鐸を日本に伝えたのでしょう。
中国南部では、越が呉をBC473に滅ぼし、呉の一部の人々は、海を渡って日本に逃れ、広島県の呉市などは、呉の人がつくった町ではないかと私は考えています。 その後、BC334には越が楚に滅ぼされますが、この時にも越の人々が日本に逃れてきて、越国(福井県・石川県・富山県・新潟県・山形県)の米どころをつくったのではないでしょうか? そして邪馬台国をつくったのは、雲南省の女性シャーマンのいる倭族がつくった填王国が紀元1世紀頃から衰退しますが、彼らが日本にやってきて礎を築いたのだと思います。
米に関わりのある越の国、また苗族(ミャオ族)の苗という漢字も気にかかるところです。
邪馬台国と卑弥呼-25 苗(みゃお)族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1272.html
邪馬台国と卑弥呼-45 滇(てん)王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
邪馬台国と卑弥呼-46 高床式建築
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1293.html
邪馬台国と卑弥呼-55 卑弥呼の踊り
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1303.html
阿佤 Awa / 佤族舞蹈 Wa Folk Dance
http://www.youtube.com/watch?v=26xRKadlQRo&feature=related

2011/4/23
邪馬台国と卑弥呼-84 呉服と蚕 邪馬台国と卑弥呼

蚕の幼虫
応神天皇37年(306年)、日本にまだ服を作る技術が未熟な頃、呉(中国)の王様に、服を作る技術を教えて欲しいと、阿知使主(あちのおみ)と都加使主(つかのおみ)を使いに出し、呉の国の王様は、兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)という四人の姫を、織物、縫物の進んだ技術を日本に伝えるために日本に向かわせてくれました。
これが呉服の語源ですが、日本の蚕は今日でも江南系であり、吉野ヶ里で発見された絹は、遺伝子分析により紀元前2世紀頃中国江南に飼われていた四眠蚕の絹であることが分かっています。 当時の中国は、蚕桑の種を国外に持ち出すことを禁じておりましたが、世界で最初に国外に持ち出された場所が、日本の北部九州である事が考古学的に証明されました。
ちなみに、呉服とは、単なる服のことではなく、織物(反物)、特に絹織物の事を指します。
邪馬台国と卑弥呼-54 呉服
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1302.html

2011/4/23
邪馬台国と卑弥呼-83 稲荷山古墳出土の鉄剣 邪馬台国と卑弥呼

埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣は、新日鉄研究所の調査によれば中国江南地方の鉄鉱石で、技術も江南の炒鋼法(しょうこうほう)。 また、呉の赤烏(せきう:238-251)の紀年銘を持つ、画文帯神獣鏡が日本で出土しています。

2011/4/22
邪馬台国と卑弥呼-82 呉音と漢音 邪馬台国と卑弥呼
日本が中国の江南の地と深い関係にあったことは、漢字の発音に今なお、「呉音」が残っている事からも分かります。 日本人が漢字に習熟したのは六朝(ろくちょう:222〜589)の間で、六朝が滅び、隋や唐の時代になって、長安に行った留学生は、その発音が「漢音」だったので、最初はかなりまごついたとされています。
日本人が漢音を習得したのは、700年頃と考えられ、その根拠は712年とされる「古事記」は呉音で、720年の「日本書紀」は漢音であるからです。
呉音は今でも残り、例を挙げれば、「経文(きょうもん)=呉音、経済(けいざい)=漢音」、「会釈(えしゃく)=呉音、会社(かいしゃ)=漢音」、「修行(しゅぎょう)=呉音、銀行(ぎんこう)=漢音」、「明朝(みょうちょう)=呉音、明快(めいかい)=漢音」です。
知られざる文明、滇(てん)王国
http://www.youtube.com/watch?v=rtNaycM308U&feature=related
邪馬台国と卑弥呼-45 滇(てん)王国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1292.html
邪馬台国と卑弥呼-46 高床式建築
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1293.html
邪馬台国と卑弥呼-55 卑弥呼の踊り
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1303.html
邪馬台国と卑弥呼-78 デルフォイの神託と卑弥呼
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1331.html
