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2011/6/30

邪馬台国と卑弥呼-118 魏志倭人伝全文-29 卑弥呼の死   邪馬台国と卑弥呼

(29)


卑弥呼が死んだ。 

そこで、大きな塚をつくった。 直径が百余歩あった。 奴婢百余人が殉葬された。


→ 一歩は144cm、すなわち百歩は144m。 径百余歩とは、直径が150mほどある事を示す。   
箸墓古墳の後円部第一段の直径は156m。
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2011/6/29

邪馬台国と卑弥呼-117 魏志倭人伝全文-28 卑弥呼と卑弥弓呼との不和  邪馬台国と卑弥呼

(28)


その八年 ( 正始八、247 )、 ( 帯方郡の ) 太守王斤頁 ( おうき ) が、着任した。

倭の女王、卑弥呼は狗奴国の男王卑弥弓呼は、以前から不和であった。

倭国では、載斯 ( さし ) ・烏越 ( あお ) などを帯方郡に派遣し、互いに攻撃しあっている状況を説明した。

そこで、帯方郡は、塞曹掾史の張政らを派遣し、詔書・黄憧を持参して、難升米に授与するとともに、檄 ( 諭告する文書 ) をつくって、 ( 攻めあうことのないよう) 告諭させた。



→卑弥弓呼は、卑弓弥呼の誤りで、ヒコミコ( =彦命 )とする説が有力。  卑弥呼はヒメミコ? ( =媛命 )

→塞曹はあまり 「みられない役職であるが、「塞 ( とりで ) 」 に関わる辺境防衛の役職 と推測される。



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2011/6/29

邪馬台国と卑弥呼-116 魏志倭人伝全文-27 正始六年難升米に黄憧  邪馬台国と卑弥呼

(27)


其の六年 ( 正始六、245 ) 、詔して倭の難升米に黄幢 ( 黄色いはた。高官の象徴 ) を下賜し、 ( 帯方 ) 郡に託して ( ことづけして ) 仮授させた。
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2011/6/29

邪馬台国と卑弥呼-115 魏志倭人伝全文-26 正始四年の上献  邪馬台国と卑弥呼

(26)


その四年 ( 正始四、243 )、倭王は、また使の大夫の伊声耆 ( いしぎ ) ・掖邪狗 ( ややこ ) など八人をつかわし、生口・倭錦・絳青 ( こうせいけん:あかとあおのまじった絹織物 ) ・緜衣 ( 綿いれ ) ・帛布 ( しろぎぬ ) ・丹・木 ( もくふ:ゆづか、弓柄で、弓の中央の手にとるところ ) ・短弓と矢を上献した。

掖邪狗などは、壱く ( いっせいに ) 、率善中郎将の印授を受け取った。
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2011/6/28

邪馬台国と卑弥呼-114 魏志倭人伝全文-25 正始元年の郡使来倭   邪馬台国と卑弥呼

(25)


正始元年 ( 240 ) には、 ( 帯方郡の ) 太守の弓遵が、建中校尉 ( 武官の名称 ) の梯儁 ( ていしゅん ) らを派遣し、詔書・印綬を捧げもって倭国に到着し、倭王に授与し、

あわせて詔書をもたらして、金・帛 ( しろぎぬ ) ・錦・ ( 毛織物 ) ・刀・鏡・采物 ( 色どりの美しいもの ) を下賜たまわった。 

そこで倭王は、使者を送り、上表して、詔に感謝した。



→ 正始 = 魏の斉王芳の年号
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2011/6/26

邪馬台国と卑弥呼-113 魏志倭人伝全文-24 魏の皇帝の詔書   邪馬台国と卑弥呼

(24)


その年の十二月、詔書をもって、倭の女王に報じて曰く、



「  親魏倭王 ( しんぎわおう ) 卑弥呼に制詔 ( みことのり ) する。 

帯方 ( 郡 ) の太守劉夏は、使者を派遣し、汝の大夫難升米 ( なしめ )・次使都市牛利 ( としごり ) をおくり、汝が献ずるところの男生口 ( どれい ) 四人・女生口六人・班布二匹二丈をもたらしてきた。

汝の住んでいるところは、はるかに遠いところにも関わらず、使者を派遣して朝貢してきたのは、まさに汝の忠孝を示すものである。

我れは、はなはだ汝を哀れむ ( いつくしむ )。 今、汝を親魏倭王となし、金印紫綬 ( むらさきのくみひも ) を仮り与えよう。 

それを封印して、帯方太守に託し、汝に仮授する。 種族の人たちを案じて、孝順につとめるようにせよ。


汝の贈ってきた難升米・ ( 都市 ) 牛利は、遠くを旅してきて途中におおいに苦労した。 今、難升米を率善中郎将 ( 宮城護衛の武官の長 )とし、牛利を率善校尉 ( 軍事や皇帝の護衛をつかさどる官 ) として、銀印青綬を仮授し、 ( 魏の天子が ) 引見してねぎらい、下賜品を与えた上で、送らせよう。


いま、絳地 ( あつぎぬ )の交竜錦 ( 二頭の竜を配した錦の織物 ) 五匹・絳地の粟 ( すうぞくけい:ちぢみ毛織物 )十張・絳 ( せんこう:あかね色のつむぎ ) 五十匹・紺青( 紺青色の織物 ) 五十匹を汝が献上した貢物に対する下賜品として与えよう。

さらに、汝には特別に、紺地句文錦 ( くもんきん:紺色の地に区ぎりもようのついた錦の織物 ) 三匹・細班華 ( さいはんかけい:こまかい花もようを斑らにあらわした毛織物 ) 五張・白絹 ( もようのない白い絹織物 ) 五十匹・金八両・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹 ( 黄赤色をしており、顔料として用いる ) おのおの五十斤を下賜しよう。


みな装封して、難升米・牛利に 託そう。 還り着いたならば、記録して受け取り、すべてを汝の国の人々に示し、中国が、汝をあわれんでいるのを知らしめよ。

そのために、 ( われは ) 鄭重に汝に好い品物を賜う ( 与える ) のである。 」




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2011/6/26

邪馬台国と卑弥呼-112 魏志倭人伝全文-23 女王国周辺 景初二(三)年の朝献   邪馬台国と卑弥呼

(23)


景初 ( 魏の明帝の年号 ) ニ ( 三 ) 年 ( 238年であるが、じっさいは景初3年、239年の誤りとみられる )六月、

倭の女王は、太夫の難升米 ( なしめ ) らを帯方郡に派遣し、天子のもとに行って朝貢したいと要請した。

太守 ( ここでは帯方郡の長官 ) の劉夏は、役人を派遣し、京都 ( 洛陽 ) まで送らせた。



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2011/6/26

邪馬台国と卑弥呼-111 魏志倭人伝全文-22 女王国周辺    邪馬台国と卑弥呼

(22)


女王国の東には、海を渡って千余里行くと、また国があった。 それらもみな、倭の種族であった。

また侏儒 ( こびと ) の国が、その南にあり、人々の身長は三・四尺である。 女王国から四千余里離れたところにある。

さらには東南には裸国 ( はだかの人の国 ) ・黒歯国 ( お歯黒の人の国 ) があり、船で航行すると一年で到達する事が出来る。

倭の地を詳しく調べ、たずねれば、大海の中に離れた洲島にあり、離れたり連なったりしている。  ぐるっと回れば、およそ五千里ほどである。






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2011/6/26

邪馬台国と卑弥呼-110 魏志倭人伝全文-21 倭国大乱    邪馬台国と卑弥呼

(21)


その国も、もとは男子を王としていた。  そうした状態が七、八十年続いた後、倭国が乱れ、お互いに攻撃しあうようになり、何年か過ぎた。

そこで ( 諸国 ) は共同して一人の女子を立てて王にした。 その名は卑弥呼 ( ひめみこの音を写したとみられる ) という。 

鬼道を祀る事をなりわいとし、人々を惑わせる能力があった。 既に大きく年をとっていたが、夫はいなかった。

ただ弟がいて、国を治めるのを助けた。 王になってから、 ( 卑弥呼に ) 会った者はほとんどいなかった。

侍女千人をはべらせていた。 男子はただ一人だけいて、飲食物を運んだり、言葉を伝えたりするために、居処に出入りすることがあった。

宮室・楼観は、城壁や木柵で厳重にしており、常に武器をもって守る者がいた。


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2011/6/25

邪馬台国と卑弥呼-109 魏志倭人伝全文-20 下戸と大人  邪馬台国と卑弥呼
(20)


下戸が、大人 ( 身分の高い人 ) と道路で会ったときは、後ずさりして逡巡 ( ためら ) いながら草 ( 叢 ) の中に入る。

言葉を伝えたらり、説明するときには、うずくまったり、ひざまづいたりして、両手は地面について、恭敬の意を示す。

答えるときには、 「 噫 ( あい ) 」 という。 中国で、 「 然諾 」 ( わかりました ) というのと同じである。


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