renaissancejapn@aol.com

2011/9/30

邪馬台国と卑弥呼-138  神功皇后と気比神宮     邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
越前国一の宮・北陸道総鎮守  気比神宮  福井県敦賀市

祭神七座 :伊奢沙別命(氣比大神)、帶仲津彦命(仲哀天皇)、息長帶姫命(神功皇后)、日本武命、譽田別命(應神天皇)、玉姫命、武内宿禰命



神功皇后と関係の深い気比神宮(笥飯神宮)ですが、日本建国の謎、すなわち邪馬台国、卑弥呼・台与とつながる秘密が隠されています。

邪馬台国・卑弥呼が存在した3世紀でですが、天皇家の歴史をみると、14代 仲哀天皇  192年1月11日−200年2月6日(在位)、神功皇后 170年−269年6月3日(生誕から崩御)の時代に相当します。

邪馬台国と卑弥呼-4  名前に神の文字を持つ天皇
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1251.html


続きを読む
8

2011/9/27

邪馬台国と卑弥呼-137  天の羽衣伝説 と 伊勢神宮    邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します


「 丹後国風土記 」 に 「 天の羽衣伝説 」 がありますが、伊勢神宮の外宮に祀られている 豊受大神 にまつわる話があります。



比治(ひじ)の真名井(まない)で沐浴をしていた八人の天女のひとりが、木の枝にかけていた天の羽衣を翁に奪われ、空を飛べなくなり、天に帰れなくなりました。  これが豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)=豊受大神=台与で、万病に効く薬をつくって翁の家を豊かにしました。  ところが、その後、豊かになった翁は豊受大神を家から追い出します。  裏切られて恨みを持った豊受大神ですが、行くあてもなくさまよった末、奈具の村につき、心が落ち着きこの地に留まったという話です。



続きを読む
12

2011/9/25

邪馬台国と卑弥呼-136  伊勢・尾張氏 と 火明命  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
尾張一の宮 真清田神社  ご祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと)   


写真は、愛知県一宮市にある真清田神社(ますみだじんじゃ)ですが、尾張国を代表する神社といえば、誰もが熱田神宮を思い浮かべますが、熱田神宮は一宮ではなく、この真清田神社であります。 ただし、社格は熱田神宮のほうが上。

東海地方に広がっていた海人族による太陽信仰は、男性太陽神(アマテル−ホアカリ)の天火明命で、天照大御神の孫にあたります。

「古事記」には天火明命、「日本書紀」には火明命、天照国照彦火明命、また「先代旧事本紀」には天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやのみこと)と記されています。
 

真清田神社が一宮として祀られているのも、この地方にホアカリを祀る篤い信仰があったからに他なりません。  

この天火明命は、尾張氏、海部氏など多くの氏族の祖神で、アメノオシホミミ(アマテラスとスサノオの誓約の際、スサノオがアマテラスの勾玉を譲り受けて生まれた五皇子の長男)


星のシルクロード・ダイジェスト(前半)
http://www.youtube.com/watch?v=yYyNP2_CLJk&feature=related
星のシルクロード・ダイジェスト(後半)
http://www.youtube.com/watch?v=LmmzdYZgz8w


と高木神の娘ヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間に生まれ、ニニギの弟(日本書紀では子)、そして 「先代旧事本紀」 では、物部連の祖である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と同一神とされています。 


稲作と桜
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1264.html
富士山と桜
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1265.html

天磐船(あめのいわふね) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1497.html
饒速日(にぎはやひ)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1498.html


続きを読む
7

2011/9/24

小泉ニロ  女性を考える
クリックすると元のサイズで表示します
小泉ニロ  


日本が世界に誇るボサノバシンガーで、容姿・雰囲気ともに抜群。 10代後半、バックパッカーとして世界50ケ国を訪問し、トライアスロンにも挑戦するスーパーレディ。
 
みんなで応援しましょう。



ボサノバ Mas Que Nada Bossa Nova 小泉ニロ bossa@NILO
http://www.youtube.com/watch?v=iLGTHHoqtCw&feature=related


私の好きな 小野リサの「イパネマの娘」 をおまけ

小野リサ イパネマの娘 Garota de Ipanema
http://www.youtube.com/watch?v=Jl8e0xXmrFw&feature=related


5

2011/9/24

邪馬台国と卑弥呼-135  伊勢神宮 心の御柱  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
伊勢神宮 心の御柱 覆屋

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します


伊勢神宮には、心の御柱というものがあります。 式年遷宮といって、20年ごとに、隣の土地に建て替えますが、遷宮が終了した後も、心の御柱だけは、そのまま残され、小さな覆屋(おおいや)に保護されます。

20年後の遷宮では、この残された心の御柱の位置が基準となり、正殿の位置が決まり、ついで宝殿など、他の建物の位置が決まってゆきます。



邪馬台国と卑弥呼-59  伊勢神宮-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1307.html
邪馬台国と卑弥呼-60  伊勢神宮-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1308.html
邪馬台国と卑弥呼-61  伊勢神宮-3 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1309.html
邪馬台国と卑弥呼-86  伊勢神宮と登呂遺跡
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1388.html
伊勢神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1040.html



続きを読む
4

2011/9/23

邪馬台国と卑弥呼-134  伊勢神宮とタカミムスヒ(高木神)   邪馬台国と卑弥呼

伊勢神宮は、紀元477年、雄略天皇の時代に内宮・荒祭宮の地に、太陽神タカミムスヒを祀る祭祀場を開いたのが、実際の伊勢神宮の創祀と考えられています。

タカミムスヒは、古事記では高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、日本書紀では高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(タカギノカミ)、神社の祭神としては、高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)と呼ばれます。

女神の天照大御神を伊勢神宮に祭り、天皇家の皇祖神としたのは、天武天皇で、即位した翌年の674年のことです。


続きを読む
5

2011/9/19

邪馬台国と卑弥呼-133  猿女君 (さるめのきみ)  邪馬台国と卑弥呼

クリックすると元のサイズで表示します


天鈿女命(あめのうずめ)の末裔である猿女君ですが、神々の御霊を身に宿したり、神楽の舞を行って、鎮魂を行う巫女の一族で、代々女系で祭祀が伝えられていったとされ、中世になると次第に衰微し、代わって伊勢神宮などでは、神に仕える 「 斎宮(さいぐう) 」 が設置されました。 猿女という名前は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が後に、猿田彦と結婚したからで、猿田彦は、いうまでもなく、天孫降臨の際、神々の道案内をした神で、神輿などの行列では、常に先頭を歩く露払いの役目を担っています。

猿田彦は、四国の阿波忌部氏の氏神を祀る、大麻比古神社の主祭神になっています。 猿という字は、「 申 」 とも書き、これに示編をつければ神になり、それ故に 「 神楽(かぐら) 」 の猿っぽいものという意味で、狂言的な踊りや舞を 「 申楽(さるがく) 」 といい、これが 「 猿楽 」 となり、時代が下って、観阿弥・世阿弥によって、猿楽は芸術性が高められ、 「 能楽(のうがく) 」 に発展してゆく事になります。


続きを読む
9
タグ: 日本 天皇 神道

2011/9/18

邪馬台国と卑弥呼-132  猿田彦 (さるたひこ)  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
猿田彦大神
http://www.sarutahikojinja.or.jp/about/


邇邇芸尊(ににぎのみこと)が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす子国津神がいました。 そして天照大御神と高木神は、天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じます。 その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのでありました。

その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であったとされていますが、まさにヨーロッパ人、また天狗のモデルではないかと思います。


天狗 と ユダヤ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1045.html
蘇我氏と修験道そしてユダヤ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1305.html
八咫烏 神武天皇とアレキサンダー大王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1046.html
ヘラクレスと日本武尊
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1332.html


邇邇芸尊らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸尊は天宇受売神に、その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言い、そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったといわれています。 


瓊々杵命と木花咲耶姫
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1294.html
祭祀支族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1053.html


猿田彦大神は天孫を導いた後、伊勢の地を本拠として国土の開拓を指導し、垂仁天皇の時代に皇女倭姫命が神宮鎮座の地を求めて諸国を巡歴されたときに、猿田彦大神の御裔(みすえ)の大田命(おおたのみこと)が祖神、猿田彦大神と同じく先導し、五十鈴川の川上一帯の霊地を献上し、伊勢神宮の創建に尽くしました。


伊勢神宮-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1307.html
伊勢神宮-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1308.html
伊勢神宮-3
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1309.html


続きを読む
6

2011/9/15

邪馬台国と卑弥呼-131  物部と蘇我、そしてイエス・キリスト    邪馬台国と卑弥呼

邪馬台国より前に瀬戸内海、山陰、東海地方を制覇していた物部一族。 どうも、その背後には古代イスラエル(ユダヤ)の影が見え隠れします。  


天磐船(あめのいわふね) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1497.html
饒速日(にぎはやひ)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1498.html


そして、物部と永遠のライバルかのようにされる蘇我氏ですが、彼らは縁戚関係で結ばれています。 蘇我馬子の妻は物部守屋の妹、太媛(紀氏家牒)布都姫(先代旧事本紀)で、蘇我蝦夷の妻は、物部守屋の弟、物部贄古の子、鎌足媛大刀自(かまたりひめおおとじ)であります。

蘇我氏を祖とする聖徳太子は、ご存知のように処女の母親が懐妊し、馬小屋で生まれたという伝説がありますが、まさしくこれはイエス・キリスト伝説から来たものと思われます。

蘇我の「蘇」という文字は、頭に茨をつけ、魚をシンボルとし、木の十字架に架けられ、そして蘇るという漢字で、中国でも日本でもイエスキリストを表すものです。





続きを読む
9

2011/9/13

邪馬台国と卑弥呼-130  破格の扱いのムク金印  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
滇王国 金印 

クリックすると元のサイズで表示します
漢委奴国王 金印


中国王朝は、「王」と認知した国の君主にしか、朝賀(ちょうが)や朝貢(ちょうこう)といった朝廷儀礼への参加は認めず、認知されていない首長や私人は、通交する事は許されましたが、朝貢は許されませんでした。

漢の時代、ムクの金印を授かるのは、丞相や諸侯王だけであり、周辺諸国でムクの金印を得たのは、北方の遊牧民・匈奴の天子「単于(ぜんう)」と雲南省の倭族がつくった填王国の「填王(てんおう)」、そして日本の「委奴国王(いどこくおう)」だけであります。

また、填王と委奴国王のムクの金印には、同じ蛇がデザインされており、やはり雲南省の填王国と日本(当時の倭)は、何がしかの関係があったものと思われます。

金印には動物のデザインがされていますが、各地方の特徴ある動物が選ばれます。 例えば西の方角であれば、羊とかであります。


また、朝鮮半島には、金印を授けていない事を考えても、中国の東側の周辺諸国は、日本(当時は倭)が支配していた、また日本(当時は倭)は、中国(当時は漢)にとって重要な位置づけの国家であったという事に間違いはありません。



続きを読む
12


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ