2011/10/30
邪馬台国と卑弥呼-155 大和撫子 邪馬台国と卑弥呼

大和撫子(やまとなでしこ) ナデシコ科ナデシコ属 常緑多年草
大和撫子と聞けば、愛らしく繊細でありながらも、凛とした、日本女性を思い浮かべます。
この語源は、スサノオがヤマタノオロチから救った奇稲田姫(=櫛名田比売:クシナダヒメ)から来ており、クシナダヒメが大和撫子なのであります。

2011/10/28
邪馬台国と卑弥呼-154 八岐大蛇と奇稲田姫 邪馬台国と卑弥呼
記紀神話では、出雲に天下ったスサノオが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)から奇稲田姫(クシイナダヒメ)を救う物語がありますが、彼女の名前が気になります。 稲と田ということは、稲作そのものを表していると思われます。

2011/10/26
秋の京都 観光・旅行

天龍寺 曹源池庭園
京都の紅葉
http://www.youtube.com/watch?v=wCsHhiU99Gs&feature=related
京都秋艶
http://www.youtube.com/watch?v=7Ai6Y5GcJVw&feature=related
紅葉の京都・嵐山での優雅な琴演奏
http://www.youtube.com/watch?v=cBe8jIJQgaU&feature=player_embedded#!
嵐山もみじ祭(HD動画) Kyoto Autumn tint festival
http://www.youtube.com/watch?v=qcqnUzvbYK8&feature=related

2011/10/25
邪馬台国と卑弥呼-153 京都御所 清涼殿の一角獣と獅子 邪馬台国と卑弥呼


京都御所 清涼殿の一角獣と獅子 2011年4月撮影
平安時代の内裏では、天皇の日常生活の場として使われた御殿が清涼殿であります。
この一角獣と獅子の組み合わせは、古代イスラエルがソロモン王が亡くなり、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂しますが、北イスラエル十支族のリーダーであるヨシュアのシンボルマークが一角獣、そして南ユダ王国ニ支族のリーダーであるユダのシンボルマークが獅子であります。
すなわち、この一角獣と獅子の組み合わせは、古代イスラエルを表すもので、ユダヤ系国際金融財閥のロスチャイルドの家紋も、一角獣と獅子の組み合わせであります。

2011/10/23
邪馬台国と卑弥呼-152 京都御所 左近桜と右近橘 邪馬台国と卑弥呼

京都御所 紫宸殿 左近桜と右近橘
京都御所の紫宸殿(ししんでん)には、左側に左近桜(さこんのさくら)と、右側に右近橘(うこんのたちばな)があります。
これは何を意味しているかといえば、記紀神話で、天孫降臨で日向へと天下った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と、大山祇神(おおやまずみのかみ)の娘である、木花開耶媛(このはなさくやひめ)と岩長比売(いわながひめ)との結婚に関するものであります。
瓊瓊杵尊は、美しい木花開耶媛(=桜)を娶り、器量は悪いですが岩のように永い命と繁栄をもたらす岩長比売(=橘)を大山祇神に返してしまったため、神の子孫である天皇家も寿命を持つようになってしまったという話です。
ニニギノミコトとコ ノハナサクヤヒメ
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=yBII3bPaEYM
美人薄命といいますが、これは桜をイメージしたもので、美しく咲いて、さっと散るという日本人の美学を象徴するものです。
京都御所の紫宸殿にある橘は、花は小さく地味で目立ちませんが、つつましく可憐で、桜の実は食べれませんが、橘の実は食用になり、桜は秋になると葉が落ちる広葉樹であるに対し、橘は冬でも葉が枯れることがない常緑樹であり、岩長比売をイメージしたものです。

2011/10/22
邪馬台国と卑弥呼-151 七五三 邪馬台国と卑弥呼

日本の風習として、神社に七五三のお参りにいったり、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句、そして七月七日の七夕がありますが、記紀神話から考察してみましょう。
星のシルクロード・ダイジェスト(前半)
http://www.youtube.com/watch?v=yYyNP2_CLJk&feature=related
星のシルクロード・ダイジェスト(後半)
http://www.youtube.com/watch?v=LmmzdYZgz8w
七夕の起源
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/719.html

2011/10/20
邪馬台国と卑弥呼-150 倭国 邪馬台国と卑弥呼
魏志倭人伝に、日本は倭国として紹介されますが、倭国とは北九州と朝鮮半島南端の一帯のことであります。
中国には、黄河文明と長江文明があり、長江流域では幾多の王国が形成されたものの、その大半が紀元前に黄河文明の人たちの侵略を受け滅亡しました。 そして、押し出されるように長江文明の人たちが日本に船でやってくることになります。

2011/10/18
邪馬台国と卑弥呼-149 神功皇后とは誰か 邪馬台国と卑弥呼
天皇家は、初代の神武天皇に始まり、第125代の今上(きんじょう)天皇にまで続いていますが、名前に神の文字を持つ天皇はわずかしかおられません。
初代 神武天皇 紀元前660年1月1日−紀元前585年3月11日(在位)
10代 祟神天皇 紀元前97年1月13日−紀元前30年12月5日 (在位)
14代 (仲哀天皇) 192年1月11日−200年2月6日(在位)
神功皇后 170年−269年6月3日(生誕から崩御)
201年−269年6月3日(在位)
15代 応神天皇 270年1月1日−310年2月15日(在位)
16代 仁徳天皇 313年1月3日−399年1月16日(在位)
邪馬台国は、1世紀から3世紀にかけて倭国にあった国ですが、神の名がつく天皇はその時期に集中しています。 当然ですが、神の名を持つ天皇が日本建国に重要な役割を果たしたと考えるべきでしょう。
卑弥呼(175年頃-248年頃)と神功皇后(170年-269年)と時代が一致し、どちらも女帝であった事、また卑弥呼が亡くなった後も神功皇后が生きていた事を考えると、神功皇后は卑弥呼でもあり、台与でもあると考えるのが自然であると思います。

2011/10/17
邪馬台国と卑弥呼-148 武内宿禰の正体 邪馬台国と卑弥呼

応神天皇を抱く、武内宿禰と神功皇后
武内宿禰(84-367)は、邪馬台国から大和朝廷建国にかけた、景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇に仕えた、古事記・日本書紀に登場する伝説的人物で、その7人の子は大和朝廷を支えた葛城氏、平群氏、蘇我氏、巨勢氏、紀氏、波多氏、江沼氏の祖 とされています・

2011/10/11
邪馬台国と卑弥呼-147 蘇我氏 と台与(とよ) 邪馬台国と卑弥呼