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2011/11/17

邪馬台国と卑弥呼-164  別天神 と神世七代      邪馬台国と卑弥呼
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古事記によれば、宇宙が成立して、最初に高天原に成った神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)ですが、この神はすぐに姿をお隠しになりました。

その後、まもなく高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、続けて神産巣日神(かむむすひのかみ)が成りましたが、同じようにすぐに姿をお隠しになりました。

この三柱を、造化三神(ぞうかさんじん)といいます
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2011/11/16

邪馬台国と卑弥呼-163  苗族 と タカミムスヒ    邪馬台国と卑弥呼
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苗族の芦笙柱(ろしょうばしら=トン・カー) 高木・太陽・鳥・水牛・蛇信仰


この写真は、苗族のトーテンポールである芦笙柱で、高い木に神が宿ると信じられ、そのてっぺんにとまっているのが太陽の方向を向いている鳥、またこの鳥は稲の穂を運んでくれる精霊とも考えられ、そして祭祀用と農業のために飼育している水牛の角があり、柱には苗族が信仰する蛇が巻きついています。  実は、この芦笙柱は鳥居の原型とも言われています。

苗族は、稲作・漁労をなりわいとし、稲作・漁労・味噌・醤油・納豆・餅・すし・鵜飼などを日本に伝えてくれました。

この芦笙柱を見る限り、高い木はタカミムスヒ信仰、太陽はアマテラス信仰、鳥はヤタガラスや白鳥信仰、牛の角は牛頭天皇(=スサノオ信仰)、蛇は出雲・大和の三輪山の蛇信仰を思い出させます。


ちなみに、ヘブライ語でアシラは神を表し、柱(=高木)信仰とつながるものがあり、記紀神話でも神を柱といい、3人の神様の事を三柱といいます。



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2011/11/15

邪馬台国と卑弥呼-162  伊勢神宮の写真集  邪馬台国と卑弥呼

カメラマン宮澤正明氏の撮影した伊勢神宮写真集。 幻想的で美しい素晴らしい写真の数々です。


伊勢神話  伊勢神宮/現代に生きる神話
http://www.iseshinwa.com/#
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2011/11/13

邪馬台国と卑弥呼-161  カガミと蛇の目  邪馬台国と卑弥呼
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赤い目をした蛇


三輪山の蛇信仰から、アマテラスの太陽信仰に移り変わり、ご神体が鏡(かがみ)となりましたが、カガミは鏡ではなく、蛇の目を表すものでした。 

お正月のお供え物のお餅も、鏡餅といいますが、鏡などどこにもなく、積み重ねているお餅の形が、蛇のとぐろに見えるからで、三輪山も円錐形をしており、とぐろを巻いた蛇に似ていたところから信仰は始まったと思われます。

蛇は脱皮することから、太陽と同様に、蘇生また再生を表すシンボルであります。


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タグ: 日本 天皇 神道

2011/11/11

邪馬台国と卑弥呼-160  神武天皇とタカミムスヒ  邪馬台国と卑弥呼

日女命(ヒルメ)=シャーマンを天照大御神とし、アマテラス信仰がはじまったのは天武天皇の時代からです。 シャーマン(=日女命=日巫女)は本来神様ではありませんから、無理やりに、女神のアマテラス信仰をはじめたという事が出来ます。

それでは、アマテラス信仰の前は、どの神を信仰していたのでしょうか。 それは、男神の太陽神タカミムスヒ(=高御産巣日:古事記=高皇産霊:日本書紀)=高木神:古事記であります。




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2011/11/9

邪馬台国と卑弥呼-159  神社とは何か  邪馬台国と卑弥呼

日本に神社は約12万社以上ありますが、その内訳は、稲荷神社約35000社、八幡社約24000社、伊勢神社約18000社、天神社約14000社、諏訪神社13000社、日吉(山王)神社3800社、熊野神社約3300社、春日神社約3100社、八坂神社約2900社、八坂神社約2900社、白山神社約2700社となります。

縄文時代から脈々と流れる自然崇拝や精霊崇拝(アニミズム)、また祖先崇拝やシャーマニズムを持つ日本では、神社という建物は必ずしも必要とされるものではありませんでした。
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2011/11/6

邪馬台国と卑弥呼-158  天之日矛 と 都怒我阿羅斯等 そして 素戔嗚尊  邪馬台国と卑弥呼
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牛角形銀製頭飾り  幅80cm×高さ84cm 中国貴州省苗族雷山点東地区

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苗族の祖、蚩尤(しゅう)


苗族は農耕を主要な生業としており、水牛は苗族にとって生活の上で欠かすことのできない重要な家畜であります。 

邪馬台国と卑弥呼-157  苗族と水牛
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1534.html

また、苗族の祖、蚩尤(しゅう)も頭に角が生えており、素戔嗚尊は牛頭天王と呼ばれますが、名のとおり頭に牛の角が生えていたとされています。 同じく加羅からやってきた都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)と新羅からやってきた天之日矛(あめのひぼこ)は同一人物とされていますが、都怒我阿羅斯等にも角が生えておりました。 また、戦の神である兵主神である天之日矛ですが、苗族の祖、蚩尤も戦の神、兵主神であったことからも、天之日矛や素戔嗚尊が苗族の人であったであろう事が一致します。

邪馬台国と卑弥呼-43  苗族と素戔嗚尊
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1290.html

「唐書」に新羅は苗族の子孫で、昔の弁韓だと書かれており、弁韓は、任那のある辺りです。 新羅の初代国王・赫居世(ヒョッキョセ)王は、倭人で海を渡って来たと、朝鮮の古代史「三国史記」に書かれています。 また、後漢書、三国志によると、弁韓の南に漢族とは異なる分身の習俗を持つ倭人のいた事が記されており、その彼らの国は加羅(から)、または伽耶(かや)と称されています。

朝鮮には朴、昔、金の三王朝がありますが、赫居世は朴王朝、また昔王朝も倭人の脱解が開いた王朝である事が、朝鮮の正史「三国史記」に書かれています。 紀元前から、日本と新羅は、苗族であり、行き来をしていたと思われます。 当時の倭国の範囲は、北九州と南朝鮮一帯であります。


邪馬台国と卑弥呼-150  倭国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1526.html
邪馬台国と卑弥呼-23  日本人新羅王 脱解王
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1270.html

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2011/11/6

邪馬台国と卑弥呼-157  苗族と水牛  邪馬台国と卑弥呼
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苗族の少女  頭に水牛の角のような飾り


長江文明を担った人々の末裔である苗族は、現在、中国の少数民族として、雲南省や貴州省の山岳地帯に住んでいますが、これは寒冷化による黄河文明の漢民族の南下により攻め込まれ、山岳地帯にまで追いやられたからであります。

長江と漢水が合流する一帯は、広大な湿地帯で、江漢平原と呼ばれますが、かつて苗族が暮らしていた洞庭湖はその江漢平原の中にあり、城頭山遺跡も同じ江漢平原にあった中国最古の都市で、苗族は江漢平原で誕生した長江文明を受け継ぐ人たちです。

本来、低湿地帯に住む水牛が、山岳の苗族に飼育されているのも、もともとは江漢平原に住んでいた苗族が、漢民族に追いやられて山岳地帯に逃げ込んだ事を証明しているでしょう。 


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2011/11/5

邪馬台国と卑弥呼-156  纒向石塚古墳     邪馬台国と卑弥呼
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奈良県 纒向遺跡

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奈良県 纒向地方の古墳

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纒向石塚古墳 


1996年に奈良県纒向石塚古墳が発見されましたが、それは長江文明の龍馬(りゅうま)古城宝墩(ほうとん)遺跡に極めて似ているものであり、日本の古墳のルーツではないかと注目されており、今後の研究が期待されています。


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