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2012/1/31

邪馬台国と卑弥呼-198  漢氏と秦氏   邪馬台国と卑弥呼

神功皇后の三韓征伐の後、皇后は北九州で誉田別尊(ほむたわけのみこと=後の応神天皇)を産み落としますが、応神天皇の時代から雄略天皇の時代に、多くの渡来人がやってきました。

その渡来人の代表格が、東漢氏(やまとのあやし=倭漢氏)と秦氏です。 どちらも単一の支族を表すものではなく、複数の渡来系支族の総称で、その出自は、自称ではあるものの、中国の偉大なる帝国である、漢王室の末裔、また秦の始皇帝の末裔としています。

どちらも自称なので怪しいと思われますが、学会では大和朝廷が渡来人を受け入れる際に、中国の有名な王朝名である漢・秦になぞらえて秦氏(はたし)・漢氏(あやし)と分類した可能性は大いに考えられるとしているようです。

ちなみに、漢氏は大和を本拠地とした東漢氏に対して、河内を本拠地にした西漢氏(かわちのあやし)も存在しました。

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2012/1/29

邪馬台国と卑弥呼-197  安曇氏と呉    邪馬台国と卑弥呼

安曇氏のルーツは、中国春秋時代の呉であります。 呉は紀元前473年に越に滅ぼされますが、その主力は、南船北馬で知られる、優れた航海術を持つ海人族であり、この海人族は越への強い復讐心を抱きながら、日本に逃れてきました。

彼らは根拠地を現在の福岡県福岡市東区の志賀島に置き、越への強い復讐心をエネルギーに源に、軍資金稼ぎと越の情報入手のため、船を使って中国大陸および日本列島各地で交易をはじめますが、同時に稲作、味噌、醤油、納豆、餅、鵜飼、金属器、養蚕技術が日本列島に伝わります。 いわば、彼らが弥生時代の基礎を築くことになります。 



邪馬台国と卑弥呼-32  安曇(あずみ)氏
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1279.html
邪馬台国と卑弥呼-144  越の子供たち
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1520.html
邪馬台国と卑弥呼-82  呉音と漢音
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1384.html
邪馬台国と卑弥呼-84  呉服と蚕
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1386.html
邪馬台国と卑弥呼-85  銅鐸のルーツ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1387.html  
稲作伝来
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1247.html
邪馬台国と卑弥呼-24  稲作と海人族 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1271.html


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タグ: 日本 天皇 神道

2012/1/27

邪馬台国と卑弥呼-196  伊勢-大和-出雲 レイライン  邪馬台国と卑弥呼
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伊勢神宮レイライン : 伊勢神宮-三輪神宮(大神神社)-出雲大社が直線に並ぶのに注目


もともと天皇家は三輪山信仰で、その皇祖神は高皇産霊神(タカミムスビノカミ)でしたが、7世紀の天武天皇の時代に伊勢神宮での天照大御神(アマテラスオオミカミ)を皇祖神とし、アマテラス信仰となります。

出雲が大和朝廷に国譲りを行い、その見返りに大国主命が巨大な出雲大社をつくって欲しいと天孫族にお願いしたとされますが、それなら出雲大社の建造は3〜4世紀以前でなければなりません。 それどころか、出雲大社の名称は明治に4年に改名されたもので、それ以前は、杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれ、「出雲国造家文書」よれば、杵築大社がつくられたのは霊亀2年(716年)の事としています。  すなわち、杵築大社(現在の出雲大社)がつくられたのは8世紀の事で、ちょうど記紀神話がつくられた時期と一致しているのです。 古事記の完成は712年、日本書紀が完成したのは720年の事であります。

また、出雲風土記には、記紀神話にあるヤマタノオロチの話も、オオクニヌシの国譲りの話も無く、建御名方命や事代主神の神社のみならず、イザナミを祀った神社すらないのです。

これらの事実は、記紀神話がつくられている時期に、伊勢神宮や杵築大社(現在の出雲大社)がつくられ、三輪山からみて、太陽が昇る東側に太陽神を祀る伊勢神宮、それに対比するかのごとく、太陽が沈む西の根の国、出雲に杵築大社が建てられたという事で、

杵築大社(現在の出雲大社)の歴史は神話どころか浅く、大和に拠点をもっていた出雲族を流刑し、記紀神話で根の国と記述したのにあわせるようにつくられたといえます。 

そして、上の図にあるように、伊勢神宮と三輪神宮と杵築大社(現在の出雲大社)が一直線に並ぶよう設計され、記紀神話がつくられている時期に、天皇家に反逆する三輪山を本拠とする出雲族の大物達(神々)が、次々と出雲に流刑となったと推測されます。 

だいたいにして、敗北した側の本拠地に、立派な神社を建てるわけがありません。 いつ反逆ののろしがあがるかも知れないからです。 この巨大な大社は、流刑となった出雲族に対し天皇家の力を誇示するもので、また隠岐之島に流刑となった反政府勢力の人々にもいつも見張っているぞといわんばかりの誇示ではないでしょうか。 私は、流刑地の出雲には、数多くの監視員がいたと思いますが、今後の研究に期待したいところです。



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2012/1/26

邪馬台国と卑弥呼-195  宗像一族と出雲一族  邪馬台国と卑弥呼

出雲大社建造がひそかに計画されたと思われる文武天皇二年(698年)、筑前国宗形郡の郡司、宗像氏に、出雲国意宇郡の郡司、出雲氏とともに、「三等巳上の親が連任することを許す」という詔が下されている。 一郡における一氏族の横領をふせぐために、近い親戚の連任を禁止していたが、宗像氏と出雲氏だけは例外が許されたというわけである。 この場合、意宇郡の郡司は、その特権の見返りとして神々の流竄の宮、杵築大社(現在の出雲大社)建造の任務が与えられている事は明らかである。

                                          神々の流竄 梅原猛




邪馬台国と卑弥呼-190  出雲は神々の流刑地
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1572.html
邪馬台国と卑弥呼-191  出雲大社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1573.html
邪馬台国と卑弥呼-192  三輪山とヤマタノオロチ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1574.html
邪馬台国と卑弥呼-193  稲羽の素兎 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1575.html
邪馬台国と卑弥呼-194  白村江の戦い
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1576.html
邪馬台国と卑弥呼-77  因幡の白兎伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1326.html
邪馬台国と卑弥呼-76  ヤマタノオロチ伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1325.html
邪馬台国と卑弥呼-65  出雲国風土記と記紀神話の不一致
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1313.html
邪馬台国と卑弥呼-64  阿波 多祁御奈刀弥神社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1312.html
邪馬台国と卑弥呼-63  阿波 伊射奈美(いざなみ)神社 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1311.html



 
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2012/1/22

邪馬台国と卑弥呼-194  白村江の戦い  邪馬台国と卑弥呼
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白村江の戦い


天智天皇の白村江の戦いでの惨敗は、日本の歴史の大きな転換点となり、もともとの皇祖神は三輪山のタケミムスヒでありましたが、その後の天武天皇の時代に伊勢神宮のアマテラス信仰がはじまります。

その白村江の戦いとはどういったものなのか、また勘違いされている人が多くいるようなので、日本人のルーツ、稲作のルーツ、日中朝の関係についてもDNAなどの科学的分析結果やそれぞれの国の正史に裏付けられた、正しい歴史を述べたいと思います。




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2012/1/22

邪馬台国と卑弥呼-193  稲羽の素兎    邪馬台国と卑弥呼
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宗像大社 みあれ祭り
http://www.munakata-taisha.or.jp/


写真は、宗像大社の三女神の、姉である田心姫(沖津宮)、湍津姫(中津宮)を、辺津宮(宗像大社)へ、お迎えするのに、一番下の妹である、市杵島姫が、辺津宮(宗像大社)で、待つのは、はなはだ失礼と言うことで、ご足労願うので、労いの気持ちで、2人のお姉さまを、妹が、神の湊港の、沖合まで、出迎えに、出向くもので、みあれ祭りと呼ばれます。


邪馬台国と卑弥呼-44  海の正倉院 沖ノ島
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1291.html
星のシルクロード・ダイジェスト(前半)
http://www.youtube.com/watch?v=yYyNP2_CLJk&feature=related
星のシルクロード・ダイジェスト(後半)
http://www.youtube.com/watch?v=LmmzdYZgz8w
神宿る島 沖ノ島1/2(日本語版)
http://www.youtube.com/watch?v=c0-fL2-nayI&feature=related
神宿る島 沖ノ島2/2(日本語版)
http://www.youtube.com/watch?v=ibKFED5QKBM&feature=related




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2012/1/20

邪馬台国と卑弥呼-192  三輪山とヤマタノオロチ  邪馬台国と卑弥呼
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三輪山と箸墓古墳


「出雲風土記」にはヤマタノオロチ神話も国譲り神話も無い事は既にお話しました。 という事は、これらの神話は出雲が舞台ではなく、他の地域のものであるという事になります。

梅原猛の著によれば、ヤマタノオロチは聖地・三輪山の象徴であるとしており、私は卓見だと思いますので、ご紹介したいと思います。



邪馬台国と卑弥呼-191  出雲大社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1573.html
邪馬台国と卑弥呼-190  出雲は神々の流刑地
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1572.html
邪馬台国と卑弥呼-65  出雲国風土記と記紀神話の不一致
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1313.html
邪馬台国と卑弥呼-64  阿波 多祁御奈刀弥神社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1312.html
邪馬台国と卑弥呼-63  阿波 伊射奈美(いざなみ)神社 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1311.html

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2012/1/18

邪馬台国と卑弥呼-191  出雲大社   邪馬台国と卑弥呼
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出雲大社


日本神話によれば、大国主神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりであるという。古代より杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)と呼ばれていたが、明治4年(1871年)に出雲大社と改称した。


歴史
斉明5年(659年) - 出雲国造に命じて大社を造営(『日本書紀』)
延暦17年(798年) - 出雲国造が杵築大社に移住
康永2年(1343年) - 出雲国造家が千家家と北島家に分裂
大正4年(1915年) - 出雲大社大鳥居が完成。

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2012/1/17

邪馬台国と卑弥呼-190  出雲は神々の流刑地  邪馬台国と卑弥呼
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古代出雲大社と平安京、東大寺の大きさ比べ


出雲の国譲りでは、大国主命は高天原の神々に国を譲りますが、譲り渡す条件として、頑丈な基礎と太い柱で建て、高天原に届くほど高く千木をかざして建てる事を要求し、受け入れられます。


私はこれを非常に奇異に感じます。 何故なら敗北側の拠点に、このような巨大な神殿を建ててしまったら、いつ反撃ののろしをあげられるか分かりません。 これは、どう考えたらよいのでしょうか? 元々、出雲はただの田舎であり、三輪山に出雲族がいて、天孫族の神武天皇が三輪山を征服し、出雲族を根の国の出雲に島流しにしたという事ではないでしょうか? 


そして、三輪山を牛耳っていた出雲族の重要人物達(神々)を片っ端から、出雲に流し、その半端でない祟りを鎮めるために巨大な神殿を建てたのだと思います。 その巨大な神殿は、祟りを鎮めるのみならず、大和朝廷の力を誇示し、流刑にあった出雲族の重要人物達(神々)が反乱を起こすのを牽制し、まるで牢獄の如く、多くの監視員がいたに違いありません。


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2012/1/15

邪馬台国と卑弥呼-189  ハツクニシラス スメラノミコト  邪馬台国と卑弥呼
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大直禰子神社(若宮神社) 大神神社の摂社・末社  奈良県桜井市三輪字若宮
おおたたねこじんじゃ


日本書紀によれば、2人のハツクニシラス・スメラノミコトが存在します。 神武天皇と祟神天皇です。

これをもって、神武天皇=祟神天皇とする説がありますが、間違いだと思います。 武力ではじめて日本を統一したのが神武天皇であり、宗教によってはじめて日本を統一したのが祟神天皇と考えるべきでしょう。

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