renaissancejapn@aol.com

2012/7/17

クリックすると元のサイズで表示します
明上奏文 「尖閣諸島は琉球」と明記 


尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。 中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。

尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。 明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。

上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。

石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。


・・・


中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」と根拠づけていた。

石井准教授は 「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」 と指摘している。


 
                                2012年7月17日7時55分配信 産経新聞

8

2012/7/17

クリックすると元のサイズで表示します
幸福の科学 総裁 大川隆法
http://happy-science.jp/



2012年1月末、中国政府の批判を続ける北京の「幸福の科学出版」の事務所が、中国政府当局の立ち入り検査により、閉鎖・解散に追い込まれました。

総裁の大川隆法は、「孫文」の霊を降臨させ対抗! 中国政府への攻撃をゆるめません。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gAPoRMl6H6Q#!


世界の迷惑である中国政府に対して、大川隆法のあまりの強さとアホさに、呆れて笑ってしまいますが、イカレ同士の対決に、あまり関わりたくありません。 w)


11


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ