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2021/2/10

トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜アヘン戦争で飛躍したJM商会〜  財閥(日本・世界)




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明治維新の大功労者 トーマス・グラバー フリーメーソンとしての活躍
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜初恋の人との別れ〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜 ジャディ・マセソン商会〜 



からの続き









阿片戦争で飛躍したJM商会

一方、十八世紀以降、イギリス本国では産業革命の進展、国内の産業資本家層が東インド会社の貿易独占に対して強い批判、不満の眼を向け始めた。

また同社自身、軍事費の拡大やインド綿布の本国への輸出の減少などによる採算割れから、1833年、同社の貿易活動は全面的にストップ状態になってしまった。

それから間もない1858年、長年にわたり東インドを支配しつづけていた同社は、ついに解散に追い込まれてしまったのだ。

同社のこの趨勢を睨み続けていたスコットランド出身のジャーディーンとマセソンが「好機到来」とばかり設立したのがJM商会だったというわけである。

そしてJM商会の設立はまさにグッドタイミングだった。 設立から八年後の1840年、イギリス本国は中国(清朝)との間に「アヘン戦争」を惹起、二年後の1842年、イギリスはこの戦いに勝利し「南京条約」を締結させた。

当時イギリスの支配下にあったインド(主としてベンガル地方)において大量のアヘンを生産、大半を中国への輸出に振り向けていた。

本来、アヘンの作用の主体は「モルヒネ」で、使い方によっては、中枢神経に対する抑制作用の結果として鎮痛、咳止め、下痢止めなどの効果をもたらす良薬であった。

ところが、薬用に限定されていたアヘンが1800年頃より麻薬と化し、誰でも入手できるようになった。

その麻薬に大きく手を染め、中国へアヘンを大量に輸出していたのが東インド会社(後にJM商会も加わる)だったのである。

アヘンを一〜二年も吸い続けると廃人同然になる。 しかし人口が急増中の 清朝では、アヘン中毒患者の急増を黙認した。

これに危機を感じた鉱業大臣・林則徐はアヘンの輸入禁止策を打ち出した。 至極当然の祖いであろう。

ところが自国の利益が減少することに怒ったイギリスは正義も恥もかなぐり捨てて、ついにはアヘン戦争へと突入してしまったのだ。

このアヘン戦争に勝利した結果一八四二年八月、イギリスは典型的な不平等条約と言われる「南京条約」を締結させた。

この結果、清朝はイギリスの属国となったと言っても過言ではない。


これを契機にJM商会は、閉店休業中の東インド会社に代わり、香港に本社を置き、アヘンと茶、さらには運輸、保険、造船、倉庫、不動産等にも次々と進出、当時としては世界最大の総合商社として発展したのである。









船舶仲買業に就職

十六歳でギムナジウムを卒業したトーマス・グラバーは兄達、チャールズとジェームズの勤める船舶仲買業へ就職したと言われるが、はっきりとした事は分からない。

ただグラバーは伝票付けや、在庫管理等の事務の仕事には全く興味がなかった。 同じ船舶仲買業でも、自らの会話と営業力で大きな船舶の売買、或いは鯨や、大量の魚の売買などに直接タッチできる仕事に大きな魅力を感じていた。

若い男としてそれは当然ともいえることだろう。 しかし細かな伝票付を嫌い、万事経営に大雑把だった彼の性格は、後に自らの会社、グラバー商会を大破綻させることになる。




次の投稿に続く









ジャーディン・マセソン商会と阿片そしてHSBC
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ジェームス・サッスーン卿
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サッスーン財閥と阿片そして上海
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国での阿片貿易を元々仕切っていてのはベアリングズ兄弟商会
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ベアリング財閥
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ラッセル商会
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ラッセル商会とスカル&ボーンズそれと米民主党とCIA 結局は阿片
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ハインツ財閥
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PS.この時期、アメリカや日本で何が起こっていたかというと、1837年、アメリカのジョージ・ピーボディが、ベアリング家の親戚であるブラウン家のブラウン・ブラザーズを通じてロンドンのビジネスに参入し、

ロスチャイルド・ロンドン家のネイサン・ロスチャイルドの代理人となっています。 これが、ロスチャイルドがアメリカの金融に参入するきっかけとなりました。

このジョージ・ピーボディは、キダー・ピーボディ証券の中心人物で、ピーボディ基金の設立者です。

ところが、彼には子どもがいなかったので、自分の後継者にジューニアス・モルガン(JPモルガンの父)を指名し、このことでモルガン商会がロスチャイルド・ロンドン家のアメリカの代理人となります。

















財閥(日本・世界)シリーズ のここまでのまとめ
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