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2021/2/13

トーマス・グラバー グラバー長崎へ旅立〜尊王攘夷、朝廷に内緒で通商条約のサイン〜    財閥(日本・世界)






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明治維新の大功労者 トーマス・グラバー フリーメーソンとしての活躍
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明治維新の大功労者 トーマス・グラバー フリーメーソンとしての活躍
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜初恋の人との別れ〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜フレーザーバラを離れる〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ 〜ギムナジウムへ入学〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜海の向こうに何がある〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷との別れ〜内部の矛盾を抱える〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜 活気に満ちたアバディーン〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜 ジャディ・マセソン商会〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜アヘン戦争で飛躍したJM商会〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜船舶中買業に就職〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜不快な大都市上海〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜大平天国の乱〜
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トーマス・グラバー グラバー長崎へ旅立〜マッケンジーの誘い〜 
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トーマス・グラバー グラバー長崎へ旅立〜尊王攘夷、倒幕に揺れる日本〜
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朝廷に内緒で通商条約のサイン

しかし、ペリーは翌安政元年二月には戦艦を七隻に増やし、しかも江戸湾深くに侵入してきた。

「もし開国を拒否するのなら、大砲を江戸城にぶちこむぞ」といわんばかりの強硬な態度であった。

この脅しに幕府はたちまち屈し、朝廷や諸大名には内緒でこっそりと「日米和親条約」(通称神奈川条約)を調印した。

だが、この条約は和親条約の名が示すように、米国船が日本に入国した折、下田港において薪、水、食料、石炭などを提供することを約束した条約であり、貿易を認めた「通商条約」ではない。

幕府が米国、及びオランダ、ロシア、イギリス、フランスとの貿易を認めた条約は、これから四年後(安政五年)の六月に締結された「日米修好通商条約」を始めとする、各国との条約(通称[安政五ケ国条約])である。


この時の米国代表はペリーではなく、駐日初代総領事のハリス(彼もフリーメーソン)、日本側は下田奉行井上清正と目付岩瀬忠震。 条約は十四ケ条と貿易章程七則からなり、

翌安政六年七月から、神奈川、長崎、箱(函)館、新潟、兵庫の開港、江戸、大阪の開市の期日を決めた。

これにより、日本は従来の鎖国体制から大きく開国への第一歩を踏み出したのだ。


しかし、同条約は輸入関税率、領事裁判権、無条件の最恵国待遇など、日本にとって不平等条約を強いられており、後に明治政府は新たに「日米通商航海条約」を締結、少しは両国の不平等が改善された。

なお、当時の日本は諸外国との大きな条約を結ぶ時、天皇の代行者である幕府は、事前に天皇の許可を得ておかねばならない。

しかし、当時、武力もなければ、金力もない朝廷を軽く見ていた幕府は、米国との調印を終えた後、事後承認を得る形で老中堀田正睦を上京させ、天皇の勅許をえようとした。

ところが極端なまでに外国嫌いの孝明天皇は、この調印を知って激怒、堀田との面会さえ拒絶した。(条約勅許問題)

すかし、調停を軽く見ていた幕府では条約を有効とした。 朝廷を軽視したこの幕府の行為を機に、待ってましたとばかりに外様大名の雄藩、薩摩・長州が「尊王攘夷」「倒幕」の炎に火を転じたのである。










清潔で平和な町長崎

さて、グラバーのことである。 米国を始めとする安政五ケ国条約により、日本が長い鎖国から、本格的な開港へと踏み切ったことはすでに述べた。

その翌安政六年(一八五九)九月グラバーは先輩マッケンジーの誘いに乗り、開国したばかりのユメの国、日本の長崎へと渡ってきた。 弱冠二十一歳の時である。

グラバーの故郷、スコットランドから香港、上海までの約六ケ月にも渡る長旅には地球の広さ、海の大きさにただただ驚かされた。

しかし、上海から日本の長崎までは、同じ清国内の香港から上海へ航海するよりもはるかに近く、わずか四日間のあっけないほどの船旅で長崎に着いた。


しかし、実はそのわずか四日間の船旅でグラバーは船旅がたちまち嫌いになってしまった。 と言うのは、五島列島遥か沖の東シナ海で船が大揺れに揺れ、それまでは一度も経験したことのない「船酔い」を体験したからである。

グラバーはこれ以来、東シナ海を通らねばならないJM商会の上海店出張を極力避け、日本国内での船旅を楽しむことにした。

五島列島を過ぎ、しばらく進むと、後にグラバーが大きく関わる事になる高島炭鉱の一島、端島(通称「軍艦島」)が見えてきた。

もうここまで来ると終点の出島岸壁までは目値鼻の先である。

波も静まり船酔いもおさまったグラバーは、ベットから甲板に出て、今から自分が努めることになる長崎湾内を子細に見渡した。


「何と静かで美しく、上品な町だろう」。


陸には未だ上がっていなかったが、それが甲板から眺めたグラバーの第一印象、直観だった。

船着き場にはJM商会の先輩マッケンジーが迎えに来ていてm二人はJM商会長崎店長崎店大浦まで一緒に歩いた。

そして、決して豪華な屋敷こそ目にしなかったものの、上海の街に比べると全く異臭がないことに好感を持った。

個人の家、商店などは小さいながらもきれいに清掃されており、船から眺めた自分の直感が間違っていなかったことにグラバーは満足した。








次の投稿に続く









アヘン戦争 と フリーメーソン中国進出 
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ジャーディン・マセソン商会と阿片そしてHSBC
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ジェームス・サッスーン卿
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サッスーン財閥と阿片そして上海
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国での阿片貿易を元々仕切っていてのはベアリングズ兄弟商会
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ベアリング財閥
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ラッセル商会
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ラッセル商会とスカル&ボーンズそれと米民主党とCIA 結局は阿片
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ハインツ財閥
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1857年ウォール街恐慌とロスチャイルドのモルガン、ピーボディ支援
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南北戦争直前、欧州列強に狙われるアメリカ
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ロシアも参戦していたアメリカ南北戦争
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ロスチャイルドのアメリカ進出と南北戦争
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グリーンバック紙幣と南北戦争
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リンカーン暗殺と「黄金の輪の騎士団」
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リンカーン暗殺とケネディ暗殺 そしてFRB
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初めて来日したフリーメーソンはオランダ人
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ジョン万次郎 と フリーメーソン
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ペリー財閥とボストン財閥
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【竹田学校】歴史・江戸時代編K〜暗殺された孝明天皇〜|竹田恒泰チャンネル2
https://www.youtube.com/watch?v=x4hQREPTpyg








PS.この時期、アメリカや日本で何が起こっていたかというと、1837年、アメリカのジョージ・ピーボディが、ベアリング家の親戚であるブラウン家のブラウン・ブラザーズを通じてロンドンのビジネスに参入し、

ロスチャイルド・ロンドン家のネイサン・ロスチャイルドの代理人となっています。 これが、ロスチャイルドがアメリカの金融に参入するきっかけとなりました。

このジョージ・ピーボディは、キダー・ピーボディ証券の中心人物で、ピーボディ基金の設立者です。

ところが、彼には子どもがいなかったので、自分の後継者にジューニアス・モルガン(JPモルガンの父)を指名し、このことでモルガン商会がロスチャイルド・ロンドン家のアメリカの代理人となります。

またリンカーンが暗殺されたのが1846年です。
















財閥(日本・世界)シリーズ のここまでのまとめ
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トーマス・グラバー グラバー長崎へ旅立〜尊王攘夷、倒幕に揺れる日本〜  財閥(日本・世界)



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明治維新の大功労者 トーマス・グラバー フリーメーソンとしての活躍
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尊王攘夷、倒幕に揺れる日本

さて、グラバーがマッケンジーの誘いに応じ大きなユメを抱いてやってきた日本とは当時どういう状況下にあったのだろうか。

安政六年と言えば、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ち「天下人(征夷大将軍)」となって江戸に初めて「幕を開き二百五十肋年目に当たる。

守りに強いと言われた家康は諸外国との交渉を一切断つべく、「海外渡航の禁止」、「貿易の管理統制」、「大船建造の禁止」、「キリスト教の禁制(これは豊臣秀吉時代の継続)」、などの鎖国政策へと突入した。

ただし、寛永十二年(一六三五年)、第三代将軍、家光時代、それまで肥前国平戸藩に置かれていたオランダ商館だけは、長崎の海岸埋め立て地「出島」へ強制移住させられたものの、我が国唯一の外国貿易の窓口として存続した。(中国との貿易は引き続き黙認)。

長年に渡る日本の鎖国状態に「開国」を押しつけてきたのが言うまでもなくアメリカ、イギリス、フランス、ロシアなどの列強国であった。


開国の端緒となったのが嘉永六年(一六五三年)、米国ペリー提督の率いる「黒船」四隻が突如、浦賀沖に姿を現した時である。

前述したが、この時の黒船(帆船と蒸気船)は現在のスクリュー(プロペラ)船ではなく「外車輪」が二隻と帆船二隻であった。

また、突如浦賀沖に現れたペリー提督は、誰しも米国のどこかの基地から、ハワイ、ホノルル経由で来日したものと思われている。

しかし、実はペリー提督の正式な所属部隊は「東インド」であり、その艦隊司令准将(少将格)だったのである。

したがって浦賀沖へ突如姿を現した四隻の黒船はハワイ、ホノルルの太平洋を渡ってきたのではなく、琉球(沖縄)経由で来たことは意外と知られていない。


また、ペリーは琉球をとても気に入り、東インドを離れ、度々琉球を音連れたようだ。(勿論貿易が目的)。

詳しくは後述するが、ペリーは来日した初めてのフルーメーソンと言われている。このため日本人初のフリーメーソンは琉球人でないかとの説もある。


もっとも当時の琉球は、清国と薩摩藩の二国に従属朝貢する特異な立場にあった。 その後日本の明治政府と薩摩藩は琉球と清国との関係を断絶させ、明治五年(一八七ニ)、「琉球藩」とし、一八七九年藩を廃して沖縄県としている。

さて、ペリー提督の突然の来日により、開国を迫られた幕府の中枢はこの時はぺこぺこと頭を下げ、ペリー一行を近くの寺で馳走してもてなした。

その上、水や薪などをプレゼントし、なんとかおとなしく引き上げてもらった。



***注***
著書の本文中にありませんが、renaissancejapanが加筆。 日本に初めて来たフリーメーソンは江戸時代後期に来日したオランダのイサーク・ティチング(Issac Titsingh)であります。ティチングはアムステルダムの生まれで、オランダの東インド会社に入社し、1772年にバタビア(今のジャカルタ)でフリーメーソンの会員になり、彼は1779年にかけて3度来日し、長崎のオランダ商館長を務め、その間、高官や蘭学者たちと親交を持ちました。

また、ペリー提督が所属していたグリーメーソンのロッジは、ニューヨークの 「ホーランドNo.8」 で、フリーメーソンにとっては、定期的な儀式は欠かすことが出来ないため、英米の軍艦にはロッジがつくられており、いうまでもなく、黒船にもロッジがつくられていました。







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PS.この時期、アメリカや日本で何が起こっていたかというと、1837年、アメリカのジョージ・ピーボディが、ベアリング家の親戚であるブラウン家のブラウン・ブラザーズを通じてロンドンのビジネスに参入し、

ロスチャイルド・ロンドン家のネイサン・ロスチャイルドの代理人となっています。 これが、ロスチャイルドがアメリカの金融に参入するきっかけとなりました。

このジョージ・ピーボディは、キダー・ピーボディ証券の中心人物で、ピーボディ基金の設立者です。

ところが、彼には子どもがいなかったので、自分の後継者にジューニアス・モルガン(JPモルガンの父)を指名し、このことでモルガン商会がロスチャイルド・ロンドン家のアメリカの代理人となります。

またリンカーンが暗殺されたのが1846年です。
















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