renaissancejapn2020@gmail.com

2021/6/5

Break Time ONE OK ROCK Wherever you are  映画・音楽・アニメ



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ONE OK ROCK Wherever you are
https://www.youtube.com/watch?v=nK_5IQNJt4E

ONE OK ROCK  Heartache 【London2015】
https://www.youtube.com/watch?v=MJd2_TsQXXc

20151203 ONE OK ROCK LIVE ♡♡♡♡♡ Heartache fancam [Russia, SaintPetersburg]
https://www.youtube.com/watch?v=cZ3EHsfr8dE





世界で活躍する日本のロックグループです。 ボーカルのTakaは森進一と森昌子の息子。
世界中の若者・女性を魅了しています。

傷ついた心臓の反応WOUNDED HEARTS REACTIONS " Heartache " ONE OK ROCK [Studio Jam Session] || MASHUP
https://www.youtube.com/watch?v=PAk8uSqt0Vk


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タグ: ONE Wherever J-Rock

2021/6/5

GSTCの崩壊とキャッチングスの辞任  財閥(日本・世界)









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ゴールドマンサックスとは
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2898.html

本Blogで、ゴールドマン・サックスのシリーズの情報の出所は、「Goldman Sachs」の著者である女性のリサ・エンドリック(Lisa Endlich)氏を中心に、収集したものです。
Lisa Endlich プロフィール
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MITでマネイジメントと都市計画の修士号を取得後、ゴールドマン・サックスに入社、外国為替部門のトレーダーとなり、VP(ヴァイスプレジデント)の肩書を得る。 退社後は夫と三人の子供とロサンゼルスに在住。

日本に関する記事は、主に国際ジャーナリスト堤未果氏の著作物を中心に取集したものです。 インターネトでデービッド・アトキンスを敵視する三橋貴明氏と藤井聡氏ですが、彼ら自身も言っていますが、彼女(堤未果)が先生と述べています。彼女の著作物・記事・情報がベースになっているケースが多く見られます。
堤未果 プロフィール
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東京生まれ、NY度立大学大学院国際関係論学科修士号。 国連、野村證券などを経て、米国の政治、経済、医療、教育、農政、公共政策、エネルギーなどをテーマに、現場取材と公文書による調査報道で活躍












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Marcus Goldman (December 9, 1821 – July 20, 1904)
ゴールドマン・サックスの創始者


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マーカス・ゴールドマンが1869年に最初のオフィスを置いたパイン・ストリートのビル
このビルの地下一階から世界最強の投資銀行の歴史は始まりました。
マーカス・ゴールドマン商店が入っていたビル、30 Pine street , New Yoork















GSTCの崩壊とキャッチングスの辞任


20世紀最大の証券界の惨事 GSTC
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2936.html


キャッチングスは強情でした。 1930年(昭和5年、濱口内閣主導で金本位制に復帰、ロンドン海軍軍縮会議、共産党員前億一斉検挙開始、独総選挙でナチ党躍進、大原美術館開館)、

会社の困難な財政状況を救うアイデアを思い付いた彼は、3年間にパートナーになったばかりのシドニー・ウィンバーグを呼びつけて、そのアイデアを熱心に語りました。

「いいか、今2,000万ドルの銀行債務と、その他債務が1,000万ドルほどある」 とキャッチングスは始めました。

「この債務を返済する資金を、2年物の転換社債で調達したらどうだろう。 2年物の転換社債を5,000万ドルを発行すれば、余資が2,000万から30,000ドルできる。

その金をフランク・テイラー(刈フォルニア駐在の投資信託ファンド・マネージャー)に任せれば、彼がたんまり稼いでくれるんじゃないか」史上最悪の弱気相場、

未曽有の状況にありながらキャッチングスは債券を発行して、さらに株式市場に投資することを考えていました。



ワインバーグとサックスは彼の無謀さに当惑し、今更ながら彼の判断力の欠如に気が付きました。

後から考えてみると、ゴールドマン・サックスを「いかなる環境にあろうとも、急拡大させ続けたい」と言った彼の言葉は、まさにこの時を予言するものでありました。

一般の人にとっては、GSTCもゴールドマン・サックスも同じものでした。ワインバーグとサックスは、

GSTCを清算してパートナーの資本を再び築くまでには何年もの努力が必要とされるだろうが、それでもやり遂げなければならないと考えていました。

キャッチングスは明らかに違う考えでいました。ウォルター・サックスは1930年6月に、不名誉なGSTCの社長に就任しました。

そして彼はワインバーグと共に、ゆっくりと会社の資産を清算する辛い仕事をこなしていきました。

発足からわずか一年足らずの間に,GSTCは、アメリカ中の銀行、保険会社、不動産会社の株を多数購入していました。


株式市場がわずかに値を戻すと、二人はその時を捉えて所有する株を売れるだけ売りました。

相場観に基づいて動いたわけではなく、現金を手に入れるために、やむにやまれず売ったにすぎません。

GSTCの銀行借入残高は2,000万ドルから3,000万ドルほどあり、返済を迫られていました。 買い手不在の中、ゴールドマン・サックスは売らざるを得ません。

それは根気を要する時間のかかる作業でした。



1933年(昭和8年、日本陸軍が山海関で中華民国と衝突し占領、ヒトラー独首相に就任、国際連盟が日本軍の満州撤退勧告案を42対1で可決し松岡代表退場、三陸地方大地震、フランクリン・ルーズベルトが第32代米大統領に就任、関東軍が長城線を越えて進撃開始、ナイスドイツ主導で開発された国民ラジオの一号機VE301W初公開、ドイツ国際連盟脱退)
までに、

GSTCの4万2,000人の投資家は、相場のピーク時と比べて3億ドル近い損失を被っていました。

当時、花形役者だったエディー・キャンターは会社を相手取って1億ドルの損害賠償を起こし、ゴールドマン・サックスを舞台や本の中でジョークのネタに使いました。

他にも数億ドルの訴訟が起こされ、法的な問題が解決するためには10年の月日を要しました。

敗訴に至ったものはありませんでしたが、何件かは和解に持ち込まれました。 ゴールドマン・サックスの8人のパートナーがGSTCに投資した10%分を持ち続けました。

訴訟費用と売買損失の合計はおよそ1,300万ドルとなり、会社の資本は1936年(昭和11年)には500万ドルに減少していました。

30年前の資本がが450万ドルであったことを考えると、これはとてつもない痛手でした。大恐慌と第二次世界大戦のせいで、事業立て直しには長い年月がかかりました。資本が1,000万ドルを超えたのは、ようやく1950年半ばのことであります。



ワインバーグが地に落ちたGSTCの買い手を見つけてきましたが、売却するためには不満たらたらの株主の同意を取り付けなければならず、それは容易な事ではありませんでした。

ゴールドマン・サックスを信じて投資をした投資家たちが、投資額の92%失った後で、協力的であろうはずがありませんでした。

株主総会で、ウォルター・サックスは敵意を露わにする株主を相手に、フロイド・オドラムの会社アトラス・コーポレーションにGSTCを売却する同意を得ようと何時間もかけて説得を試みました。

オドラム社は破綻した事業の買収を専門とする人物で、彼以外にはまともに買おうとする者は誰もいませんでした。

そのような投資をするだけの資金を持つ者も、太っ腹を持つ者もいませんでした。 業を煮やしたウォルター・サックスは反抗的な聴衆に向かって切り出しました。

ゴールドマン・サックスがとてつもない経営判断ミスを犯したのはみなさんご承知の通りです。

しかし、誰よりも大きな損失を被ったのは我々であり、弊社は今、破産のっ瀬戸際にあります。

ゴールドマン・サックスは売却を強く望みます。株主のみなさんは、不本意でありましょうが、この判断を黙認して頂きたい。

異を挟む余地を与えぬ強い調子で、彼は言い切りました。 最終的にオドラムへの会社売却は承認され、株主は100ドルの投資に対し、わずか8ドルの元本を取り戻すに終わりました。



1929年(昭和4年)の大恐慌時、ゴールドマン・サックスの名前はウォール街の諸悪の象徴とされました。

GSTCの崩壊はゴールドマン・サックスの評判を深く傷つけ、業界は再起不可能と見ました。

信用を失い、ゴールドマン・サックスは5年間もの間、引受の主幹事を努める事が出来ずにいました。

他社の引き受けた証券を販売して食いつなぎ、赤字から脱却したのは、ようやく1935年(昭和10年)になってのことでした。

このときの痛手はその後何十年と尾を引き、同社に影響を与え続けました。 1980年代にゴールドマン・サックスが投資顧問業務に再び参入するにあたり、

経営陣はゴールドマン・サックスの名前を使うかどうか、長く議論を重ねています。 1929年の教訓は、長く忘れ去られることはありませんでした。





1930年5月、シドニー・ワインバーグの先導で、パートナーはキッチングスの辞任を要求しました。

彼はしぶしぶ伊辞表を提出。 わずか1年の間にたった一人の男、キッチングスのせいで、ゴールドマン・サックスは壊滅的な状況に陥ってしまいました。

反省を込めて、ウォルター・サックスはこう回想しています。 「逆境に耐えられる人間は多い。 が、成功にうまく耐えられる人間は少ない。 彼はその一人ではなかった。 成功は彼をうぬぼれさせた。

彼は金を持たない貧しい男だった。 それが突然金持ちになったと錯覚した。 だが、それは机上の金持ちでしかなかった。

あの年、そう、すべては12ケ月の間の出来事だった。 彼は狂ってしまった。 我々も分別に欠けたか、あるいは強欲に過ぎたために、遅きに失するまで彼を抑える事ができなかった」。



キャッチングスの資本金残高はマイナスになっていたにも関わらず、会社は25万ドルもの大金を支払って、パートナーシップの契約が切れる6ケ月前に辞職を強要しました。

彼はカリフォルニアに移り、しばらくラジオのプロヂューサーをした後、『経済学者はビジネスを理解できるだろうか』という題名の本を書いています。















ゴールドマン・サックス ここまでのまとめ
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財閥(日本・世界)シリーズ ここまでのまとめ
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