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2021/6/6

ゴールドマン・サックスを蘇らせた男、シドニー・ワインバーグ  財閥(日本・世界)






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ゴールドマンサックスとは
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2898.html

本Blogで、ゴールドマン・サックスのシリーズの情報の出所は、「Goldman Sachs」の著者である女性のリサ・エンドリック(Lisa Endlich)氏を中心に、収集したものです。
Lisa Endlich プロフィール
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MITでマネイジメントと都市計画の修士号を取得後、ゴールドマン・サックスに入社、外国為替部門のトレーダーとなり、VP(ヴァイスプレジデント)の肩書を得る。 退社後は夫と三人の子供とロサンゼルスに在住。

日本に関する記事は、主に国際ジャーナリスト堤未果氏の著作物を中心に取集したものです。 インターネトでデービッド・アトキンスを敵視する三橋貴明氏と藤井聡氏ですが、彼ら自身も言っていますが、彼女(堤未果)が先生と述べています。彼女の著作物・記事・情報がベースになっているケースが多く見られます。
堤未果 プロフィール
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東京生まれ、NY度立大学大学院国際関係論学科修士号。 国連、野村證券などを経て、米国の政治、経済、医療、教育、農政、公共政策、エネルギーなどをテーマに、現場取材と公文書による調査報道で活躍

















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Marcus Goldman (December 9, 1821 – July 20, 1904)
ゴールドマン・サックスの創始者


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マーカス・ゴールドマンが1869年に最初のオフィスを置いたパイン・ストリートのビル
このビルの地下一階から世界最強の投資銀行の歴史は始まりました。
マーカス・ゴールドマン商店が入っていたビル、30 Pine street , New Yoork

















ゴールドマン・サックスを蘇らせた男、シドニー・ワインバーグ


GSTCの崩壊とキャッチングスの辞任
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2937.html


ワインバーグはこの事件の責任から逃げる事はありませんでした。 財務担当者としての責任の釈明を求められたとき、彼は「私が愚かだったのです」と言っています。

この経験がワインバーグのリスクやパートナーの資本金に対する考え方の根本となり、信用の価値の重要性をいやというほど思い知らせたといってよいでしょう。

ゴールドマン・サックスを蘇らせたのは、一人の男でした。 中学校を中退した、ごく普通の男、シドニー・ワインバーグ。

まだ330代だった彼は、その後40年間ゴールドマン・サックスでリーダーシップをとる事になります。


シドニー・ワインバーグはまぎれもなく、近代ゴールドマン・サックスの父であります。
1930年から他界する1969年まで会長として経営を続け、大恐慌の後始末をこなし、

同社を全米に知られる存在とし、揺るぎない名声を打ち立てました。 彼の存在は、死後も
消えることなく、今日でもその影響は社内で感じ取る事がでいます。 身長5フィート4インチ。 彼は小柄な男でした。

彼が絶頂期にあった1956年(昭和31年)、ニューヨーカー誌はこう書いています。「ワインバーグは、一流大手投資銀行、ゴールドマン・サックスのシニア・パートナーである。

と同時に、他に例を見ないほど多数の大手企業の社外取締役を努め、さまざまな財界人のアドバイザーであり、彼の言葉には大統領も熱心に耳を傾ける。

ウォール街の外ではその名前はあまり知られていないが、彼は全米でも有数の影響力を持つ男である」。


国を愛し、自分の勤める銀行に忠誠を尽くしたワンバーグは、当時の主要財界人のほとんど親しい関係にありました。

三つ揃えのスーツを着こなし、ベストのポケットから金鎖をのぞかせた彼は、自分が叩き上げでのし上がった来たことを大きな誇りにしていました。

トップレベルの商談などで小賢しい言いまわしが続くと、彼は得意の平易な言葉に流れを変えようと、皮肉っぽくブルックリン訛で、

「私はブルックリンの公立第13小学校しかでていないものですからね」というのが常でした。

シドニー・ジェ−ムズ・ワンバーグはは、ささやかな酒の卸業を営む移民、ピンカス・ワンバーグの11人の子供の3番目に生まれました。

1891年(明治24年)に生まれ、ブルックリンで育ち、公立第13小学校で教育を受けました。


彼は生涯、この小学校に愛着を持っていました。 ホレーショ・アルジャーの物語に出てくるような苦学生の様に、彼は10歳のときから働きはじめました。

マンハッタン島とブルックリンを往来するフェリーの発着所で新聞を売ったり、牡蠣の貝殻を剥いたり、婦人用の帽子屋のために鳥の羽を運んだりして生活を支えました。

13歳のとき、夏休みの間に証券会社の使い走りとして雇われましたが、一つの職だけでは飽き足らず、一社でしか働いてはいけないという古くからのしきたりを破って、

彼は他の2社でも同様の仕事を得ました。 銀行の窓口係がこれを見つけたために、ワインバーグ3つの職を一度に失ってしまました。 1906年(明治39年)春、中学を2年で中退しました。

これが彼の最終学歴であります。
















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