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2021/7/18

1970年代ウォール街の低迷期  財閥(日本・世界)






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ゴールドマンサックスとは
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2898.html

本Blogで、ゴールドマン・サックスのシリーズの情報の出所は、「Goldman Sachs」の著者である女性のリサ・エンドリック(Lisa Endlich)氏を中心に、収集したものです。
Lisa Endlich プロフィール
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MITでマネイジメントと都市計画の修士号を取得後、ゴールドマン・サックスに入社、外国為替部門のトレーダーとなり、VP(ヴァイスプレジデント)の肩書を得る。 退社後は夫と三人の子供とロサンゼルスに在住。

日本に関する記事は、主に国際ジャーナリスト堤未果氏の著作物を中心に取集したものです。 インターネトでデービッド・アトキンスを敵視する三橋貴明氏と藤井聡氏ですが、彼ら自身も言っていますが、彼女(堤未果)が先生と述べています。彼女の著作物・記事・情報がベースになっているケースが多く見られます。
堤未果 プロフィール
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東京生まれ、NY度立大学大学院国際関係論学科修士号。 国連、野村證券などを経て、米国の政治、経済、医療、教育、農政、公共政策、エネルギーなどをテーマに、現場取材と公文書による調査報道で活躍












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Marcus Goldman (December 9, 1821 – July 20, 1904)
ゴールドマン・サックスの創始者


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マーカス・ゴールドマンが1869年に最初のオフィスを置いたパイン・ストリートのビル
このビルの地下一階から世界最強の投資銀行の歴史は始まりました。
マーカス・ゴールドマン商店が入っていたビル、30 Pine street , New Yoork















1970年代ウォール街の低迷期

レビーのプロフィール(生まれと育ち、そして性格) 
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2953.html

からの続き



ウォール街にとって、1970年代はひどい時代でした。 1973年1月にダウは1051でしたが、1974年12月には半分に近い578まで落ち、1980年まで1000台に戻すことはありませんでした。

収益の低さに加え、多数の訴訟事件に巻き込まれ、ゴールドマン・サックスは、とりわけ厳しい時期を過ごしました。

レビー在任時の最悪の時は、1970年2月、ペン・セントラル鉄道がひどい決算結果を報告した時でした。

ナショナル・クレジット・オフィス(CPの格付け機関)は、ペン・セントラルのCP発行主幹事であるゴールドマン・サックスに、この鉄道会社の信用度に関して話を聞きたいと電話をしてきました。

ゴールドマンが全般的にポジティブな意見を述べたおかげで、同社のCP格付けは最高のランクのままに据え置かれることになりました。



ゴールドマン・サックスはペン・セントラルのCPの販売を続けましたが、顧客に勧めても買い注文が入らないのではないかと心配して、手持ちのポジションを最小限にするよう、ペン・セントラルのCPは「タップ」で売ることにしました。

これは買いたい顧客が出てきた時に初めて一定額だけCPを発行する方式です。 この方式にすればゴールドマン・サックスが在庫を抱えるのは、最大800万ドルに抑える事が出来ます。



ペン・セントラルが倒産に追い込まれると、CP市場はパニック状態に陥りました。 ゴールドマン・サックスは当時300社以上の企業の主幹事を行っていました。

他のCPも回収不可能に陥るのではないかと心配した投資家たちは、回収に殺到しました。アメリカ中の企業が短期債権を償還するために銀行に融資を求めて押し寄せ、FRB(連邦準備制度理事会)は流動性を確保する為の行動を余儀なくされました。


ゴールドマン・サックスの過ちは、FRBがペン・セントラル鉄道に資金を供給して救済するだろうと想定したことでした。

ペン・センとラルの資産は30億ドルあり、債務の担保としては十分であり、同社は単に手元資金に不自由しているだけだ、と考えていました。

レビーはペン社の支払い能力に不安を感じた事はなかったと、後に証言しています。 しかし、ゴールドマン・サックスはSEC(証券取引委員会)から譴責(けんせき)を受け、顧客に対してさらに多くの情報を開示するよう要求されました。

ゴールドマン・サックスはペン・セントラル社の悪化した財務内容に関する情報を入手できる立場にありながら、

「その情報をCPの投資家に提供することを怠り、同社を細かく調査することもしなかった。 ゴールドマンが同社の危険信号に注意を払い、財務内容を見直していたなら、公表された数字よりもはるかに悪い状況であったことを知り得たはずである」とDECは言っています。


ゴールドマン・サックスにとって、この事件はまったくの災難でありました。 シドニー・ワインバーグが何十年とかけて育てた評判は再び傷つき、信用は地に落ち、財務状況も危険なレベルに陥りました。

それは悲惨な時代でした。 そして皮肉にも、それを回復する仕事は、シドニーの息子に回ってきました。

レビーは彼の右腕であるジョン・ワインバーグを南部に送り込み、できるだけ多くの顧客と会って、CPを元本の半額で買い取る交渉をしてくるように言い渡しました。



ジョンは1950年にゴールドマン・サックスに入社していました。 彼がどのような提案をするかは、彼が町に愛を踏み入れる前から口コミで広がっていました。

どこに行っても、腹を立てて交渉に応じようとしない敵意に満ちた債権者ばかりでした。
ワインバーグの努力は失敗に終わりました。

レビーはその事態を予期はしていましたが、会社としてはいかに不快なことであっても、何らかの提案をしないわけにはいきませんでした。



ゴールドマン・サックスが顧客を見捨てると思われてはなりません。 そんなことをしたら取り返しのつかないことになります。

顧客は列をなしてゴールドマン・サックスを訴訟し、少なくとも45件の訴えがだされました。

ペン・セントラル鉄道は、倒産時に債務不履行のCP8700万ドルを抱えており、ゴールドマン・サックスに対する訴訟金額は、パートナーの資本金5300万ドルを上まりそうな勢いでありました。

っそれは45人のパートナーにとって恐ろしい時でした。 彼らは個人的に無限責任を負っています。

ゴールドマン・サックスは責任を認めませんでしたが、徐々に顧客と和解し、CPを1ドルにつき20セントから25セントの割合で買い戻し、ペン・セントラルからCP債務に対する何らかの支払いがあった場合には、その一部を引き渡す約束をしました。



1974年10月、ウェルチ食品と二人の原告が訴訟を起こし、話は裁判にもつれ込みました。連邦陪審は、ペン・セントラル社が倒産間近な状態にありながら、1969年、70年に同社のCPを御販売しして顧客を搾取したとして、ゴールドマン・サックスに有罪の判決を下しました。

ゴールドマン・サックスは原告からCPを額面金額に利息を上乗せした金額で買い戻すことを要求されました。

この判決はゴールドマン・サックスの評判を傷つけ、財務状況を悪化させました。 しかし、他から大幅なディスカウント価格で大量に買い戻していたCPが後に急騰したため、損失はかなり軽減されました。
















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