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2021/2/13

トーマス・グラバー グラバー長崎へ旅立〜尊王攘夷、倒幕に揺れる日本〜  財閥(日本・世界)



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明治維新の大功労者 トーマス・グラバー フリーメーソンとしての活躍
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2816.html









明治維新の大功労者 トーマス・グラバー フリーメーソンとしての活躍
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜初恋の人との別れ〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜フレーザーバラを離れる〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ 〜ギムナジウムへ入学〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜海の向こうに何がある〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷との別れ〜内部の矛盾を抱える〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜 活気に満ちたアバディーン〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜 ジャディ・マセソン商会〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜アヘン戦争で飛躍したJM商会〜 
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜船舶中買業に就職〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜不快な大都市上海〜
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トーマス・グラバー 生まれ故郷を後へ〜大平天国の乱〜
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トーマス・グラバー グラバー長崎へ旅立〜マッケンジーの誘い〜 
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からの続き











尊王攘夷、倒幕に揺れる日本

さて、グラバーがマッケンジーの誘いに応じ大きなユメを抱いてやってきた日本とは当時どういう状況下にあったのだろうか。

安政六年と言えば、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ち「天下人(征夷大将軍)」となって江戸に初めて「幕を開き二百五十肋年目に当たる。

守りに強いと言われた家康は諸外国との交渉を一切断つべく、「海外渡航の禁止」、「貿易の管理統制」、「大船建造の禁止」、「キリスト教の禁制(これは豊臣秀吉時代の継続)」、などの鎖国政策へと突入した。

ただし、寛永十二年(一六三五年)、第三代将軍、家光時代、それまで肥前国平戸藩に置かれていたオランダ商館だけは、長崎の海岸埋め立て地「出島」へ強制移住させられたものの、我が国唯一の外国貿易の窓口として存続した。(中国との貿易は引き続き黙認)。

長年に渡る日本の鎖国状態に「開国」を押しつけてきたのが言うまでもなくアメリカ、イギリス、フランス、ロシアなどの列強国であった。


開国の端緒となったのが嘉永六年(一六五三年)、米国ペリー提督の率いる「黒船」四隻が突如、浦賀沖に姿を現した時である。

前述したが、この時の黒船(帆船と蒸気船)は現在のスクリュー(プロペラ)船ではなく「外車輪」が二隻と帆船二隻であった。

また、突如浦賀沖に現れたペリー提督は、誰しも米国のどこかの基地から、ハワイ、ホノルル経由で来日したものと思われている。

しかし、実はペリー提督の正式な所属部隊は「東インド」であり、その艦隊司令准将(少将格)だったのである。

したがって浦賀沖へ突如姿を現した四隻の黒船はハワイ、ホノルルの太平洋を渡ってきたのではなく、琉球(沖縄)経由で来たことは意外と知られていない。


また、ペリーは琉球をとても気に入り、東インドを離れ、度々琉球を音連れたようだ。(勿論貿易が目的)。

詳しくは後述するが、ペリーは来日した初めてのフルーメーソンと言われている。このため日本人初のフリーメーソンは琉球人でないかとの説もある。


もっとも当時の琉球は、清国と薩摩藩の二国に従属朝貢する特異な立場にあった。 その後日本の明治政府と薩摩藩は琉球と清国との関係を断絶させ、明治五年(一八七ニ)、「琉球藩」とし、一八七九年藩を廃して沖縄県としている。

さて、ペリー提督の突然の来日により、開国を迫られた幕府の中枢はこの時はぺこぺこと頭を下げ、ペリー一行を近くの寺で馳走してもてなした。

その上、水や薪などをプレゼントし、なんとかおとなしく引き上げてもらった。



***注***
著書の本文中にありませんが、renaissancejapanが加筆。 日本に初めて来たフリーメーソンは江戸時代後期に来日したオランダのイサーク・ティチング(Issac Titsingh)であります。ティチングはアムステルダムの生まれで、オランダの東インド会社に入社し、1772年にバタビア(今のジャカルタ)でフリーメーソンの会員になり、彼は1779年にかけて3度来日し、長崎のオランダ商館長を務め、その間、高官や蘭学者たちと親交を持ちました。

また、ペリー提督が所属していたグリーメーソンのロッジは、ニューヨークの 「ホーランドNo.8」 で、フリーメーソンにとっては、定期的な儀式は欠かすことが出来ないため、英米の軍艦にはロッジがつくられており、いうまでもなく、黒船にもロッジがつくられていました。







次の投稿に続く









アヘン戦争 と フリーメーソン中国進出 
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2655.htm

ジャーディン・マセソン商会と阿片そしてHSBC
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2797.html
ジェームス・サッスーン卿
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2798.html
サッスーン財閥と阿片そして上海
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2799.html
国での阿片貿易を元々仕切っていてのはベアリングズ兄弟商会
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2802.html
ベアリング財閥
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ラッセル商会
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ラッセル商会とスカル&ボーンズそれと米民主党とCIA 結局は阿片
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2809.html
ハインツ財閥
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2810.html



1857年ウォール街恐慌とロスチャイルドのモルガン、ピーボディ支援
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2786.html
南北戦争直前、欧州列強に狙われるアメリカ
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2787.html
ロシアも参戦していたアメリカ南北戦争
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2788.html
ロスチャイルドのアメリカ進出と南北戦争
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2789.html
グリーンバック紙幣と南北戦争
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2790.html
リンカーン暗殺と「黄金の輪の騎士団」
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2791.html 
リンカーン暗殺とケネディ暗殺 そしてFRB
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2657.html



初めて来日したフリーメーソンはオランダ人
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ジョン万次郎 と フリーメーソン
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2812.html
ペリー財閥とボストン財閥
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2813.html








PS.この時期、アメリカや日本で何が起こっていたかというと、1837年、アメリカのジョージ・ピーボディが、ベアリング家の親戚であるブラウン家のブラウン・ブラザーズを通じてロンドンのビジネスに参入し、

ロスチャイルド・ロンドン家のネイサン・ロスチャイルドの代理人となっています。 これが、ロスチャイルドがアメリカの金融に参入するきっかけとなりました。

このジョージ・ピーボディは、キダー・ピーボディ証券の中心人物で、ピーボディ基金の設立者です。

ところが、彼には子どもがいなかったので、自分の後継者にジューニアス・モルガン(JPモルガンの父)を指名し、このことでモルガン商会がロスチャイルド・ロンドン家のアメリカの代理人となります。

またリンカーンが暗殺されたのが1846年です。
















財閥(日本・世界)シリーズ のここまでのまとめ
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