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2021/6/3

20世紀最大の証券界の惨事 GSTC  財閥(日本・世界)









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ゴールドマンサックスとは
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2898.html

本Blogで、ゴールドマン・サックスのシリーズの情報の出所は、「Goldman Sachs」の著者である女性のリサ・エンドリック(Lisa Endlich)氏を中心に、収集したものです。
Lisa Endlich プロフィール
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MITでマネイジメントと都市計画の修士号を取得後、ゴールドマン・サックスに入社、外国為替部門のトレーダーとなり、VP(ヴァイスプレジデント)の肩書を得る。 退社後は夫と三人の子供とロサンゼルスに在住。

日本に関する記事は、主に国際ジャーナリスト堤未果氏の著作物を中心に取集したものです。 インターネトでデービッド・アトキンスを敵視する三橋貴明氏と藤井聡氏ですが、彼ら自身も言っていますが、彼女(堤未果)が先生と述べています。彼女の著作物・記事・情報がベースになっているケースが多く見られます。
堤未果 プロフィール
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東京生まれ、NY度立大学大学院国際関係論学科修士号。 国連、野村證券などを経て、米国の政治、経済、医療、教育、農政、公共政策、エネルギーなどをテーマに、現場取材と公文書による調査報道で活躍
















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Marcus Goldman (December 9, 1821 – July 20, 1904)
ゴールドマン・サックスの創始者


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マーカス・ゴールドマンが1869年に最初のオフィスを置いたパイン・ストリートのビル
このビルの地下一階から世界最強の投資銀行の歴史は始まりました。
マーカス・ゴールドマン商店が入っていたビル、30 Pine street , New Yoork
















20世紀最大の証券界の惨事 GSTC


空前の成功 GSTC(ゴールドマン・サックス・トレーディング・カンパニー)
https://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/2935.html


キッチングスは一人で勝手に動き出しました。 大きな案件に関してはパートナー全員の合意を必要とする原則は、党に無視されていました。

7月にGSTCが新たな投資信託会社シェナンドウ(Shenandoah)を設立して株式を募集すると、応募は募集金額の7倍にのぼりました。

株は17.50ドルで発行され、初日に36ドル引けました。 GSTCはこの投信会社の株の40%を所有し、さらに10%をゴールドマン・サックスが主有しました。

こうして次々と信託会社を生み出すプロセスが始まりました。 シェナンドウはさらに規模の大きい投資信託会社、ブルーリッジ・コーポレーション(資産1億4,200万ドル)を設立しました。

ブルーリッジの普通株86%はシェナンドウが所有しました。 後に国務長官となったジョン・フォスター・ダラスはGSTCの顧問弁護士となり、シェナンドウとブルーリッジの役員に名を連ねました。


これらの会社の株があまりに人気だったため、ゴールドマン・サックスは特別サービスを提供しました。

AT&T、ゼネラルエレクトリック、イーストマン・コダックなどの株をブルーリッジの優先株や普通株と交換することに応じるという提案であります。

この提案に飛びついた人は多くいました。 GSTCと、GSTCが次々と設立していった投資信託会社のおかげで、資本金2,000万ドルのゴールドマン・サックスは、

総計5億ドルの価値の会社の会社のコントロールを得たのであります。 わずか1ケ月の間にGSTCは2億5,000万ドル以上の株を発行しました。

「アメリカ財務省もかなわないほどの」仕事ぶりだったとガルブレイスは書いています。
この高いレバレッジの結果、数週間後に生じた出来事で、ゴールドマン・サックスは、深く傷つくことななります。


キャッチングスに率いられたゴールドマン・サックスは、山のように次々と積み上げられた投資信託から三通りの利益を得る予定でいました。

一つは引受手数料。 それは当時どこから見ても信じられないほどの高率の手数料でありました。

第二にゴールドマン・サックスは投資信託会社の株を所有し、その株価が引き続き上昇するものと信じていました。

そして最後にGSTCがメーカーや電力会社の株を購入して大口の株主になることで、それらの会社から投資銀行業務や証券売買の注文がゴールドマン・サックスに流れ、手数料がここからも上がるのではないかとの期待がありました。



1929年(昭和4年、アメリカ合衆国、ハーバート・フーヴァー大統領就任式、初のターミナルデパート、阪急百貨店が開店、 ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。世界恐慌の引き金となる(いわゆる「ブラック・サーズデー」)、 田中義一内閣総辞職。濱口内閣成立。)の夏、

ブルーリッジとシェナンドウが作られたとき、サックス兄弟はいずれもヨーロッパに出かけており留守でした。

ウォルターはこの案件を報告する電報をイタリアで受け取りました。 彼はひどく心配して、ニューヨークに戻るや否や、その足でキャチングスがアパートとして滞在していたプラザホテルに向かいました。

大暴落の数週間前のことで、全株はすでに市場で完売されていました。このピラミッド方式は常軌を逸しているとウォルターはキッチングスに言いました。

しかし、このとき得意の絶頂にあったキッチングスは即座に即座に彼を退けました。
「君の問題はだね、ウォルター、創造力に欠けるところだよ」。



1929年10月に株の大暴落が発生すると、GSTCはその影響をもろに受けました。 一時は326ドルにまで上がった株価は、1.75ドルまで下がりました。

中には株価が一定価格まで下落するとGSTCがその株を買い増す条項のついたものがあり、損は恐ろしいまでに膨らんでいきました。

株を買い増しする資金を作るためには、所有株を売る売却せざるを得ず、それはさらに株価を押し下げました。

それは市場環境の悪さと、レバレッジの高さが組み合わさると、致命的になることの実証がなされたようなものでした。


20世紀最大の証券界の惨事として、GSTCはゴールドマン・サックスに大きな汚点をもたらしました。

ゴールドマン・サックスがなぜこのような狂乱状態に陥る行動に出たのか、後に聞かれてウォルター・サックスはこう答えています。

「世界を支配するためだった。 金に対する欲望だけではなく、権力を求める気持ちがあったからだと思う。 そしてそれは大きな過ちだった。 正直に申し上げるが、われわれはみな、欲望に心を奪われていた。

強気相場に我を忘れ、とてつもない値段でも説明がつくと思ってしまった。 そして無防備でいたときに、すべてが奈落の底に落ちてしまったのだ」。

















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