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2006/9/29

エルサレム  旧約聖書
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エルサレムは現在のイスラエルの首都でありますが、古代イスラエル・ユダ王国の首都で、シオンの丘に建てられたエルサレム宮殿があった場所です。

また、イエス・キリストが処刑された地でもあり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地でもあります。


紀元前1000年に、サウル王とその子ヨナタンはペリシテ軍に破れ、壮絶な最期を遂げますが、ダビデは深い友情で結ばれていたヨナタンの死を悼む歌を詠み、「弓」と題しました。  

サウル王の死により、ダビデには新しい運命が開かれ、ユダ部族を中心とする南部のイスラエル人たちがダビデを王に迎えました。  そして、紀元前993年には残る北部のイスラエル人たちもダビデを王と認め、統一イスラエル王国が実現する事となります。

この頃は、ユダ部族を中心とする南部の王国の都はヘブロンにありましたが、南に偏りすぎているので、ダビデは南北を結ぶ要地として、当時はまだエブス人の手中にあったエルサレムに目をつけ、攻略にとりかかりました。

エルサレムは、三方を深い谷に囲まれた要塞の地であり、そこに堅固な城壁を構えていたエブス人は、ダビデを馬鹿にして、「お前はここには入れない。 目の見えないもの、足の悪い者でもお前を追い払う事は容易だ。」といいました。

エルサレムは高台の町で、水が乏しかったので、谷間から水を引き、城外の断崖の直下に人工の泉をつくり、場内から秘密のトンネルと縦穴を設け、この泉まで水を汲みにいけるようになっていました。  ダビデは、そのことを知っていたので、泉から逆に縦穴とトンネルを這い上がり、奇襲に成功しました。

こうして、エルサレムを制したダビデは、ここを統一王国の都と定め、さらに城壁を強化しました。  

この泉は、「ギホンの泉」と呼ばれ、今でも水が豊かに流れていますが、1910年にイギリスのウオーレン大尉が、岩窟のようになっている「ギホンの泉」の天井に穴があいているのに気付き、その穴を登ってみるとオフェルの丘にある民家の地下室に出て、ダビデの奇襲の話が実証されることになりました。

ダビデはエルサレムを本拠地にして、ペリシテ人を完全に打ち負かし、周辺の諸国も征服し、北はダマスカスから南はアラビア砂漠のふちに及ぶ一大王国を樹立しました。 

このダビデの時代は、イスラエル人(ユダヤ人)の長い歴史において、最高の栄光に満ちた時代であり、それ以来、現在に至るまで、ダビデは常にユダヤ民族の栄光のシンボルとされてきました。

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