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2006/10/25

王妃エステル  旧約聖書
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Esther before Ahasuerus    1624年
Oil on canvas, 80 x 119 cm
Musée du Louvre, Paris
VIGNON, Claude 作



                旧約聖書(エステル記)

70年に及ぶバビロン捕囚の後、バビロン王国はペルシャ王国に滅ぼされました。 ペルシャ王によって国に帰る事を許されたイスラエル人たちは、続々とイスラエルに帰還し、破壊された神殿の再建に努めました。 しかし、ペルシャの国にも多くのイスラエル人が残っておりました。  「 エステル記 」 は、この時代にペルシャ王の妃となった美しい
イスラエル人の娘、エステルの物語です。

自分に逆らった妻を離縁したペルシャの王アハシュエロスは、国中の美しい娘を集め、その中から新しい王妃を選びました。 ここで選ばれたのが、イスラエル人の美しい娘エステルだったのです。  王はエステルを他の誰よりも愛していました。  

しかしながら、大臣のハマンは、イスラエル人を嫌っていました。 ハマンはイスラエルジンがペルシャの法律に従わないことを理由に、アハシュエロス王からイスラエル人を皆殺しにする許しを得ました。

この計画を知ったエステルは、イスラエル人を救うために、王に会いに行きます。 当時のペルシャでは、お召しの無い者が勝手に王の前に出た場合、王妃であろうと死刑になる可能性がありました。  しかしエステルは、育ての親から、 「あなたがこの王国に北のは、この時のためであるかも知れない」  と諭され、王の前に出る決心をしました。

そして神に祈りを捧げた後、王妃の衣装を着て、王の前に進み出ました。 エステルの話を聞いたアハシュエロス王は、彼女の願いを聞きいれ、イスラエル人を殺す計画を中止させました。  そして、大臣ハマンは死刑になり、こうしてイスラエルの人々は、皆殺しの危険から救われることになりました。

ユダヤ人の習慣に、「プリム」 と呼ばれるお祭りがありますが、プリムとはプル(くじ)
の複数形で、これはハマンがプルを投げてユダヤ人殺害の日を、ア−ダルの月(2〜3月)の13日と定めたことによるものです。  

それで、アーダルの月の14日、15日はシナゴークで、エステル記の巻物が読まれ、この2日間は、エステル記の定めに従って、貧しい人々への施しや、友人達と食べ物の交換が行われたり、ダンスや仮装なども楽しみます。
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