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2006/11/18

サロメの舞 と ヨハネの生首  新約聖書
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■ 出現 (L'Apparition)  1874年 - 1876年
105×72cm | 水彩 | Musee du Louvre, Paris.
Gustave Moreau (ギュスターブ・モロー)作http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/moreau.html



        新約聖書(マタイによる福音書第14章1節−11節)

そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、家来たちにこう言った。
「あれは洗礼者ヨハネだ。 死者の中から生き返ったのだ。 だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」

実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。  ヨハネが、 「あの女と結婚することは律法で許されていない」 とヘロデに言ったからである。

ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。 人々がヨハネを預言者と思っていたからである。  ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、ヘロデを喜ばせた。

それで彼は娘に、 「願うものは何でもやろう」 と誓って約束した。

すると、娘は母親に唆されて、 「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」
と言った。

王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、
人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。  その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った。


---------------------------------------- ミニ解説 -----------------------------------------

これは、イエスがまだ洗礼者ヨハネのもとから独り立ちしたばかりの頃の話で、当時ユダヤはローマの属国で、エルサレムを含む中心部はローマ総督の直接統治下にあり、辺境のガリラヤとペレアの統治は、ヘロデ王の息子ヘロデ・アンティパスが、イトラヤとトラコンの統治はヘロデ王のもう一人の息子フィリポが任されていました。

そのヘロデ・アンティパスは、腹違いの兄弟フィリポの妻ヘロディアを寝取り、強引に自分の妻を追い出してヘロディアと結婚してしまいました。

ユダヤ人の律法によれば、兄弟の妻と結婚するのは大罪で、イエスの洗礼者ヨハネは民衆の前で、その事を激しく責め立てたので、ヘロデ・アンティパスはヨハネを牢獄に閉じ込めてしまっていました。  また、悪女のヘロディアもヨハネを殺そうと思っていましたが、ヨハネは正しい人であることを知っていたので、手を出す事ができませんでした。

ところが、彼らに絶好の機会が訪れます。 ヘロデが自分の誕生日の祝いに、ローマの高官やガリラヤの有力者を招き、宴会を催すと、ヘロディアの連れ子であるサロメが舞い、ヘロデとその客達を喜ばせました。  そこで、王が褒美に何でも好きなものをやろうと言ったら、サロメは座を外して母ヘロディアと相談し、 「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せていただきとうございます」 と答えました。 

王は、心を痛めましたが、誓ってしまったことなので、衛兵を遣わし、ヨハネの首をはね、盆に載せて持ってこさせ、少女サロメに渡し、少女はそのヨハネの首を母ヘロディアに渡しました。

このサロメが舞い、ヨハネが地下牢で斬首されたマケルス城塞の遺跡は、ヨルダン領の死海東岸の岩山の頂上にあり、ヨハネの遺体はヨハネの弟子達がもらい受け、ヨハネの墓はダマスカスにあります。



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