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2006/11/22


謎の多い秦氏ですが、今まで読んできた本を総合的に考えて、なるべく矛盾が少なくなるようにまとめた自説を紹介したいと思います。

西暦30年に、イエスキリストは十字架にかけられ、死、復活、昇天があったとされ、イエス・キリストは神格化され、その後キリスト教教会ができる。 その2年後、キリストの12使徒の一人の弟子であるトマスは、現在のイランやイラクあたりで既に伝道を行っていた。 また、使徒ナタナエルなども西アジア一帯に早くから伝道をしていた。

キリスト教は急速に西アジアに広まり、歴史家バール・ダイサン(154〜222)の記録によれば、トルコ人やタタール人も西暦140年頃には既にキリスト教化されていた。  彼らは遊牧民族であった為、ユーラシア大陸の広い範囲にわたり移動し、キリスト教の波は中央アジアにも早くから押し寄せた。

秦氏の故郷は、中央アジアの弓月(中国読みクンユエ)という国で、この国の存在は中国の古代史書「資治通鑑(しじつがん)」にも記されている。 弓月国は、シルクロードの北方ルート上に属しており、絹ビジネスで栄えていた。 いうまでもなく、シルクロードのシルクビジネスはディアスポラで世界に散ったユダヤ人がシンジケートをつくっていた。

その後、中国の皇帝たちは周囲の征服した多くの民族を使役し、次々と万里の長城の建設に当たらせた。 中央アジアの人々も、例外ではなく万里の長城建設に駆り出された。 その苦役に耐えかねた多くの人達が、朝鮮半島や日本に逃げたことは、好太王の碑文や「後漢書の東夷伝」に記されている。

弓月国の人々も、万里の長城の苦役に耐え切れず、満州を経て朝鮮半島に逃れた。 「三国志」の中の「魏志韓伝」によれば、秦の役を避けて、秦人が大量に朝鮮半島に流入、地元の朝鮮人(馬韓)は、仕方なく朝鮮半島の東半分を秦人に分け与えて、その国は「秦韓しんかん(辰韓)」、「弁韓べんかん(弁辰)」と呼ばれた。 

朝鮮半島でも彼らは苦境に追い込まれ、日本にやってきたのが秦氏。 首長の弓月の君は、120県(1県=100人?)近い大集団を率いて日本に大移住を行う。 この時、日本の権力者である天皇と取引をしたが、天皇にとっては、秦氏の技術・資金力や高度な文明の導入は魅力的なものであった。 一方、秦氏は天皇に使えることと引きかえに、東の果ての、島国日本に安住の地を見出し、秦氏は天皇に感謝し、よく仕えた。

「新撰姓氏録」で、秦氏が秦の始皇帝の末裔を主張しているが、これは怪しく、秦人は中国語で柵外の民という意味があり、中国の西域から東北満州あたりに住んでいる非中国人系の遊牧民を意味し、前述の如く弓月国から来た物と思われる。 弓月王国には、多くの景教(ネトリウス派キリスト教)の信者が多く居たことから、秦氏もネトリウス派キリスト教徒であったと考えると、聖徳太子の馬小屋、大工伝説のようにキリスト伝説と重ね合わされている事が説明可能となる。

ちなみに、馬韓は百済、秦韓は新羅、弁韓からは伽耶諸国が生まれ、4〜5世紀には朝鮮半島の三国時代を迎える。 西暦390〜410年頃、朝鮮半島では倭と百済、高句麗と新羅が連合し、戦が続いていた。 さらに追い打ちをかけるように新羅、百済ともに干ばつが続き、稲は枯れてしまい、イナゴが大発生。 飢えた人々は海を渡って倭国に向かった。

応神天皇の頃、秦氏が日本に移住してから、彼らの優れた土木工事技術で、古墳は巨大化し、応神天皇の息子の仁徳天皇の墳墓の大きさは知れたとおり。 記紀には、応神天皇の時代に弓月君に率いられて、秦氏が日本に集団で渡来してきたとあり、応神天皇が全国の八幡神社の主祭神であることから見ても、納得がいくものである。

さらに、平安京建設では、如何なくその実力を発揮し、山背地方はいくつもの河が蛇行する湿地帯であったが、秦氏は中央を流れていた鴨川の流れを変え、アルカリ性の土地を撒き土地を改良し、建設も手がけ、最大の資金スポンサーともなり、平安京遷都を遂行した。 この時の治水工事の一つが、葛野の大堰として知られ、今日でもそれを記念する石碑や神社が残っている。

以前は、秦氏は百済から来たという説もあったが、秦氏の建立した広隆寺の弥勒菩薩半跏像や、秦氏の住んでいた土地はことごとく新羅文化のものである事から、新羅(秦韓)を通って渡来してきたと考える方が自然で、百済からきたというのは仏教派の蘇我氏が、神道派の物部氏を破った以降に、仏教中心(百済中心)に記録を改ざんした可能性があると見るべきである。

秦氏が日本の神社を建立したが、民俗学者の柳田國男氏の指摘にもあるように、八幡神社(やはた:はたがいっぱい)と聖書や古代キリスト教と深い関係があるというのも、上記仮説を立ててみると納得がゆくものである。

としたならば、日本固有と考えられていた文明・文化は、古代ユダヤ(イスラエル)や古代キリスト教の文明・文化がベースになっているとも言える。

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