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2005/9/3

ローザンヌ条約  国際政治・金融・企業

第1次世界大戦後、1920年にパリ郊外のセーヴルで締結されたセーヴル条約は、あまりに敗戦国のトルコに過酷なものでありました。 この条約を締結したオスマン政府(イスタンブール政府)に共和制派のアンカラ政府は反対し、

ケマル=アチャチュルク率いる共和制派が、皇帝を追放しアンカラ政府を樹立し、さらにセーヴル締結後に領土拡大を狙い侵攻してきたギリシアとの戦争に勝利し、ロシアと単独で平和条約を結び、フランスとも休戦条約を結ぶ事になります。

そこで、連合国(第1次世界大戦の戦勝国)は、セーヴル条約に変わる新たな講和条約を新しいトルコ政府と結ぶ必要ができ、こうして1923年7月24日に結ばれたのが、ローザンヌ条約です。 敗戦国のトルコ(アンカラ政府)と連合国のイギリス、フランス、イタリア、日本、ギリシャ、ルーマニア、ユーゴスラビアの間で調印され、この条約により、賠償金は大幅に減額され、現在のトルコの領土が決まりました。



イラク・パレスチナ・エジプトはイギリスが統治し、レバノン・シリア・チュニジア・モロッコはフランスが統治、またイスタンブールとその近くを除く東トラキアはギリシアの領土になったのは、セーヴル条約で決められたものです。

また、1932年には、第1次世界大戦の敗戦国であるドイツが、1929年の世界恐慌もあいまり、ヤング案の履行が困難となったので、ここローザンヌで、イギリス、フランス、ベルギー、イタリア、日本はドイツの賠償総額を30億マルクに減額する事を決めましたが、アメリカの不参加で未解決に終わってしまいます。 

今日、高級リゾート地として知られるローザンヌは、国際政治の重要な会議の場ともなった場所であり、レマン湖とアルプスと美しい街並みを堪能しながら、歴史にも思いを寄せたならば、ローザンヌへの旅は、さらに思い出深いものになる事でしょう。



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