renaissancejapn@aol.com

2005/10/13

近年アジア諸国の発展は目覚しいものがありますが、あくまでも低賃金労働力を搾取されての構造での経済発展であることには間違いなく、自ら科学技術上、文化・文明的価値を生み出したものでない事は、我々は十分認識せねばなりません。 日本も例外ではありませんが、世界一の高賃金国となった現在、欧米を凌ぐ科学技術力で経済発展を遂げているところは、他のアジア諸国とは少し違うところです。

しかしながら、人類の歴史上の文明を考えて見た場合、我々の経済発展は果たして、歴史に残りうる文明的にも文化的にも価値あるものかどうかは、疑問なところです。

つい最近まで、超大国であったアメリカとソ連にしても、軍事力では確かに強大であったかも知れませんが、彼らの文明や文化を考えてみた場合、底の浅さを感じるのは私だけではないと思います。

哲学や思想により、人々の考えや政治経済のあり方は、時代とともに変遷してゆきますが、このアメリカやソ連とて、哲学や思想はヨーロッパで生み出されたもので、ある意味でその思想の一部のみに偏重した底浅い国であるかも知れません。 共通しているのは、ヨーロッパ的な階級社会、貴族支配、王侯支配を否定して出来上がった国で、この思想はフランス革命に見ることができ、やはりヨーロッパの思想から生み出されたものです。

アメリカの大好きなデモクラシーも起源はヨーロッパであり、ソ連の大好きな社会主義もヨーロッパの労働者共同体のユートピアやマルキシズムに起源を見ることができます。

アメリカではビジネスマンの共和国、ソ連は労働者の共和国であり、いずれも反貴族的で、一般大衆が中心の社会体制をとっていると言えます。 大衆が中心となる社会が決して悪いわけではありませんが、何事も一長一短があります。

近代ヨーロッパの高度な文明を支えてきたのは、主として貴族階級やキリスト教教会が育んできた洗練された高度な学術・芸術・作法であり、ヨーロッパでは長い時間をかけた伝統の中で洗練され高度化されてきました。 まさしくカルチャー(文化)とは、時間をかけてカルティベイト(耕す)されるものであります。

一個人の自由や人権が尊重されるべきである事には間違いありませんが、同時に大衆社会を形成するために、神の威厳や貴族的洗練された物まで否定する事により、本当に価値あるものをも見失い、大衆の為の社会と唱えながら、結果としてスターリンによる自国民への大量虐殺、アメリカにおいては自由と民主主義を世界に広めるために身勝手な戦争を仕掛け、罪なき一般大衆の人々を大量虐殺してきた現実を見るにつけ、この両国はヨーロッパ思想の表面だけを理解し、軽薄に突き進んでいった非文明的国家と言えるでしょう。 毛沢東の中国共産党然りです。

一方、これらの国々に影響を与えていったヨーロッパの思想ですが、本家ヨーロッパでは
行き過ぎた考えには、ちゃんとブレーキ機能が働いており、やはり自ら長い時間をかけて自ら考え、生み出し、洗練されていった歴史を感じます。

大衆社会も結構ですが、本来個人が持つ権利とは特権であり、自覚も努力も責任もなしに、生まれながらにして誰もが権利をもっているという発想は危険であるように思います。 政治にせよ、企業における経営者にせよ、一人の指導者如何により、多くの一般の人々の運命が左右されてしまいます。 

全く科学技術の事を知らずして、科学技術庁長官となっていた山東昭子や田中真紀子にも呆れるものがありますが、最近の自民党の杉村太蔵議員を見るにつけ、大衆社会の問題を見せ付けられているような気がしてなりません。

個人主義の大衆社会では、一般大衆のためという公共的性格は失われ、むしろ利己主義に陥り、自覚・責任感・努力のない人々、またもっと恐ろしい事に、そのようなリーダーが増えていっているのではないでしょうか? 少なくとも、自分自身に自覚・責任感があれば、上記の政治達は自らその地位を断り、然るべき能力・責任感のある人にその職を譲るべきだと思います。 まさしく利己主義そのものです。






1

トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ