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2008/1/21

フリーメーソン-36  フェリックス・ベアト  フリーメーソン
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Felix Beato(1833-1907)

我々が意識せずに見る、幕末から明治にかけての重要な写真のほとんどが、フリーメーソンで、ヴェネチア生まれのイタリア人、フェリックス・ベアトが撮ったものと言っても過言ではありません。

彼は、クリミア戦争、インドのセポイの反乱、アヘン戦争の中国、幕末から明治維新にかけての日本、というようにタイミングよく世界の事件をスクープしています。 これはフリーメーソンの人的ネットワークにより、次にどこで何が起こっているか分かっていたからであり、各国の情勢を正しく把握していないとできないものであり、偶然ではあり得ません。



フェリックス・ベアトは、1833年にイタリアのヴェネチアで生まれ、マルタ島に移りました。 その後、イギリス、フランス、トルコ連合軍とロシアが戦ったクリミア戦争に写真家助手として参加しました。

クリミア戦争は、聖地エルサレムにロシアが手を出したために、管理していたオスマントルコと戦争に至ったもので、イギリスとフランスはトルコ側につきました。

クリミア戦争で、ベアトは名前をイタリア名のフェリーチェからフェリックスへとイギリス名に変更しています。

そして、クリミア戦争の次にはインドに渡りセポイの反乱を写真に収め、アヘン戦争の中国、そして幕末動乱期の日本に姿を現しました。

彼がいつ日本にやってきたのかは分かりませんが、1861年5月には日本に来ていたという記録があり、既にこの島国で大きな内乱があることを察知していたのでしょう。

ベアトは、長崎、横浜、京都、鎌倉、と場所を変えながら、幕末動乱期の日本を写真に収めています。 その写真の数は膨大なもので、現在書店に並んでいる本の中で、江戸末期の写真があれば、そのほとんどがベアトの写真と言っても過言ではないそうです。

彼は横浜に写真屋の看板を上げ、生計を立てていましたが、その顧客は外国人と外国政府で、特に江戸城、薩摩藩邸、有馬藩邸、長崎港、下関港、広島港、横浜港など、かなり重要で戦略的な箇所の写真を多く写しています。 

欧米列強は、こぞってベアトの写真を購入し、対日戦略を練っていたのです。 ある意味では、スパイ的活動であったという事もできますが、100年以上たった現在、我々日本人にとっても当時の様子を知ることの出来る一級の資料であるという事もできます。


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長崎港

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生麦事件の現場








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