renaissancejapn@aol.com

2008/4/23

フリーメーソン-88  オスマントルコ帝国の崩壊  フリーメーソン
クリックすると元のサイズで表示します
オスマントルコ帝国の領土 スレイマン1世時代 (1580年頃)


オスマントルコ帝国は、オスマン一族がアナトリアの北西部に小さな公国を築き、13世紀後半から1923年までの、600年以上もの期間、現在のトルコを中心として領土を拡大しながら繁栄した大帝国ですが、第一次世界大戦後に連合軍によって解体されました。




第一次世界大戦は、世界に植民地を有する大英帝国に対し、ガソリンやディーゼル機関の発明により、世界最大の石油産業が産声を上げ、ドイツの勢いは留まるところを知らず、アフリカの植民地と中東の石油利権で、イギリスと対峙するようになったのが、戦争の大きな原因ですが、同時にアメリカの南北戦争やクリミア戦争などで、軍需産業が大きくなり、敵味方に兵器を売りつける死の商人たちの存在も、油に火をつけました。


フリーメーソン-77 第一次世界大戦
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/670.html
フリーメーソン-78 死の商人 バジル・ザハロフ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/671.html
ユダヤ人と金融
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/169.html


また、ロシアでのユダヤ人迫害も大きな原因の一つで、ユダヤ系国際金融財閥のロスチャイルドが日露戦争で日本に資金や武器を提供し、かつロシア内部に入りこんでロシア革命
を起こす為の活動を、日本の明石大佐などが行い、ロシア帝国は崩壊しました。


フリーメーソン-69  日露戦争
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/662.html
フリーメーソン-70  ジェイコブ・シフ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/663.html
フリーメーソン-76  ロシア革命
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/669.html
フリーメーソン-7  イルミナティ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/597.html
フリーメーソン-8  3つの世界大戦
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/598.html
フリーメーソン-75  カール・マルクス
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/668.html


戦艦、戦車、自動車、飛行機など、どれもが石油で動かすエンジンを積んでいるため、戦争に勝ち、覇権をとるためには、石油は非常に重要な資源であり、当時中東全域を支配していたオスマントルコ帝国が、ヨーロッパ列強に狙われても不思議ではありません。

そして、イギリスは中東の石油利権を得る為には手段を選ばず、オスマントルコ帝国を破るために、マクマホン宣言により、アラブ人がイギリスの味方をしてオスマントルコ帝国と戦うならば、アラブ人の独立を承認すると約束。


フリーメーソン-79  アラビアのロレンス
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/672.html


また、第一次世界大戦中に、フリーメーソンであるイギリスの外務大臣アーサー・ジェームズ・バルフォアが、イギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダーであるライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に対して送った書簡で、パレスチナにユダヤ人の国家を樹立することを宣言したバルフォア宣言。


フリーメーソン-80  エドモンド・ロスチャイルド
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/673.html


1916年5月にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれた、オスマン帝国の領土を分割する秘密協定で、イギリスの中東専門家マーク・サイクス (Mark Sykes) とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコ (François Georges-Picot) によって原案が作成されたサイクス・ピコ協定。

の3枚舌をつかいながら、したたかにオスマントルコを解体し、その石油利権を得ようとしました。


アラビアのロレンス率いるアラブ軍がダマスカスに入城し、トルコ軍を撃退し、その三日後にアレンビー将軍率いるイギリス軍が到着し、砂漠の戦いに完璧な勝利を収めると、ここにオスマン・トルコ帝国が崩壊し、1914年の石油協定が無効となってしまいました。

ドイツ銀行が必死になって確保した石油利権の25%が、この瞬間にすっかりイギリス人の手に渡ったのであります。

こうして中東の石油は、第一次大戦前後の巧みな情報作戦によって、今日のイラン・イラクという二大産油国がイギリスの手に落ち、そこに海軍大臣チャーチルの見事な動きがあって、イングランド銀行が石油株を買い占めて莫大な利権を握りしめました。


ともあれ、第一次世界大戦で敗戦国となったオスマントルコ帝国は解体され、トルコ革命を経て、現在のトルコ共和国に至っています。 イギリスとフランスの中東分割は、1920年4月のサン・レモ会議でほぼ確定していましたが、1923年にトルコ共和国がローザンヌ条約に調印したことで正式に分割されました。

イラク・パレスチナ・エジプトはイギリスが統治し、レバノン・シリア・チュニジア・モロッコはフランスが統治、またイスタンブールとその近くを除く東トラキアはギリシアの領土になったのは、1920年8月10日のセーヴル条約で決められたものです。

ローザンヌ条約は、どういったものであったのかと言えば、

第1次世界大戦後、1920年にパリ郊外のセーヴルで締結されたセーヴル条約は、あまりに敗戦国のトルコに過酷なものでありました。 この条約を締結したオスマン政府(イスタンブール政府)に共和制派のアンカラ政府は反対し、

ケマル=アチャチュルク率いる共和制派が、皇帝を追放しアンカラ政府を樹立し、さらにセーヴル締結後に領土拡大を狙い侵攻してきたギリシアとの戦争に勝利し、ロシアと単独で平和条約を結び、フランスとも休戦条約を結ぶ事になります。

そこで、連合国(第1次世界大戦の戦勝国)は、セーヴル条約に変わる新たな講和条約を新しいトルコ政府と結ぶ必要ができ、こうして1923年7月24日に結ばれたのが、ローザンヌ条約です。 敗戦国のトルコ(アンカラ政府)と連合国のイギリス、フランス、イタリア、日本、ギリシャ、ルーマニア、ユーゴスラビアの間で調印され、この条約により、賠償金は大幅に減額され、現在のトルコの領土が決まりました。


第一次世界大戦後、オスマントルコ帝国が解体したとき、青年トルコ党が革命を起こしましたが、この青年トルコ党を育成し、演出したのが、隠れユダヤのサバタイ派でありました。  実際に、イスラム教徒のように見えて、その実はサバタイ派のユダヤ人で、偽装してイスラム教徒のふりをして、イギリス、またそれを影で操るサバタイ派=フランキスト=改革派ユダヤのロスチャイルド側につき、トルコ解体を画策していたのです。


フリーメーソン-82  サバタイ派=フランキスト=改革派ユダヤ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/675.html


フランキスト神学によれば、神は4つの人格をもつとされています。

@アティカ・カディシャ  Atika Kadisha
Aマルカ・カディシャ   Malka Kadisha
Bシェチナ        Schechina
Cグレート・ブラザー   The Great Brother


@〜Bは、ユダヤ教のカバラ学上の用語で、最初はイスラエルから出発し、ヨナタン・アインシュベッツに代表され、次にサバタイ・ツヴィによって代表されるイスラムに至り、さらにヤコブ・フランクがキリスト教を代表し、最後に革命が起こると、ビッグ・ブラザーが世界を統治すると解釈されています。  これは、いうまでもなくフリーメーソンの新世界秩序のワンワールド化の事であります。








-------------------------------------------------------------------------













1

トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ