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2008/7/20

フリーメーソン-132  フリーメーソンとは何か-7  薔薇十字  フリーメーソン
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薔薇十字の見えない学院


薔薇十字団は、ルネサンス時代の代表的な神秘主義結社ですが、近代フリーメーソンは、薔薇十字団から派生したという説があります。  その根拠となるのは、記録上の最初のフリーメーソンである17世紀の古代文化史家エリアス・アシュモールが残した記録によるものです。 オックスフォード大学にアシュモール博物館がありますが、この博物館を寄贈したのが、エリアス・アシュモールです。


Ashmolean Museum in Oxford University
http://www.ashmolean.org/about/historyandfuture/



彼は、1646年10月16秘の日記に、自分が 「 ランカシャーのウォーリントンでフリーメーソンに加入した 」 ことを記しており、彼は錬金術師、占星術師、カバラ主義者、薔薇十字思想家との交流があり、薔薇十字団がフリーメーソンに移行する時期のフリーメーソンと接触したと解釈されています。

また、1682年3月11日にアシュモールは再び、ロンドンで開かれたフリーメーソンの集会に出席したと日記に記しています。 


ここで、重要なことは、彼が実践的な建築術とは無関係のままフリーメーソンとなっている事であり、17世紀にはフリーメーソンのイメージが、 「 自由な石工 」 というものから、離れ始めている事が分かります。

その意味で、アシュモールは最初の 「 スペキュラティブ(思索的)フリーメーソン 」
として、それまでの 「 オペラティブ(実践的)フリーメーソン 」 とは区別されています。

キリスト教会の大聖堂の建設が少なくなると共に、石工職人組合としてのフリーメーソンは衰え、建築に関係のない貴族、紳士、知識人がフリーメイソンリーに加入し始め、フリーメーソンは職人団体から、友愛団体に変貌してゆきました。


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ところで、薔薇十字団とはどういったものなのでしょうか。 簡単に言えば、17世紀初頭(日本では徳川初期)の頃、ヨーロッパで流行した、錬金術、占星術、魔術などの古代の英知を駆使して世の人々を救うという、西洋神秘主義的な秘密結社であります。

創始者は、ドイツで生まれのクリスチャン・ローゼンクロイツで、16歳の時に天の啓示を受けて聖地エルサレムへと旅立ち、旅の途中で、アラビアの謎の都市ダムカルに立ち寄り、そこで東方の賢者により 「 Mの書 」 と呼ばれる魔術書を託されました。

ドイツに戻った後、旅で得た魔術や古代の知識を活用して、人々の生活をより良くしようと努力しますが、人々から受け入れられず、自分の知識を生かすのには時期尚早と感じたローゼンクロイツは数名の弟子とともに 「 聖霊の家 」 という秘密の建物を作り、そこで魔術の研究に没頭します。

少しづつ弟子も増え、総勢が8人になった時、秘密結社 「 薔薇十字団 」を創設し、6つの信条を決めて活動にあたりました。  その信条とは、


1.無料で病人の治療をすることを主な活動とする。
2.特別の服装をせず、その国の服装を身につけること。
3.毎年、「聖霊降臨祭」の日に集会を開き、それに出席すること。
4.後継ぎを必ず見つけておくこと。
5.R.C.を印章、合言葉、標識とすること。
6.この団の存在は100年間は秘密にすること。

 
であり、この 「 薔薇十字団 」 は、フリーメーソンと同じく、招待された人でなければ、入会することは出来ませんでした。


西洋神秘主義の薔薇十字団が登場する背景を少し説明しておきますと、

ご存知の通り、西洋文明は、古代シュメール文明・メソポタミア文明とエジプト文明を基礎とし、ギリシア=ローマ文明とユダヤ=キリスト文明の大きな2つの軸から形成されています。

また、西欧神秘主義にも2つの系譜があり、一つはギリシア=ローマ文明の、ギリシア密教からピタゴラス=プラトン=プロティノス=マルシリオ・フィチーノとつながる系譜で、

もう一つはユダヤ=キリスト文明の、占星術=魔術=グノーシス主義=ヘルメス主義=カバラ=錬金術の系譜であります。

西洋神秘主義の根底には、神的世界への夢と憧れがあり、古代から中世、そして近代に「おける宗教・思想・文学・芸術など、さまざまな分野で西欧的な花を咲かせてきました。 


西欧神秘主義という名称で、一括されるさまざまな宗教・思想がほぼ出揃うのはローマ時代であります。  

例えば、占星術・魔術・密議宗教(エレウス密議・ディオニュソス密議・オリシス=イシス密議など)・ピタゴラス主義・プラトン主義・新プラトン主義・ヘルメス主義・グノーシス主義など、全てローマ帝国において栄えたものであります。

キリスト教はもともと、ローマ帝国内の領域内でユダヤ教から派生した一種の密儀宗教でしたが、キリスト教が覇権を握ると、それ以外の神秘的な宗教や思想は、全て異端として迫害され、地下にもぐることとなりました。

しかしながら、キリスト教そのものが極めて神秘的な宗教であったために、ルネサンス時代の古代復興熱と共に、異端とされ地下に潜入していた古代宗教や思想が、再び西欧精神史の中心に復活してきて、両者は容易に融合してゆきました。

そのときに、錬金術やカバラ(ユダヤ教神秘主義)が加わり、ルネサンス時代特有の魔術的世界が形成されますが、この世界観を継承しながら、17世に登場したのが、薔薇十字団であります。

そうして、西欧神秘主義的観点からのフリーメーソンは、この薔薇十字団の後を受けて、18世紀に登場してきます。

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イギリスで、17世紀後半に自然科学や啓蒙思想が興り、18世紀にはヨーロッパで主流の思想となってゆきましたが、自然科学の発達は前述の西欧神秘主義だけでは説明がつきません。

これは、ちゃんとその時代背景から説明できます。

キリスト教がローマ帝国で国教として認められてからというもの、キリスト教関係者は次第に金と権力を持ち始め、司教たちは好き放題に振る舞い、その腐敗振りはひどかったのです。  

例えば、魔女狩りでは全く罪のない女性たちが、キリスト教徒たちによってリンチや火あぶりにされ、ガリレオが地動説を唱えると、キリスト教の教えにあわないといって有罪判決を受けたり、また免罪符といってカトリック教会にお金を寄付すれば犯した罪が許されるといった、イエス・キリストが生きていたらびっくりするようなことばかりやっていました。


そうして、カトリック教会の腐敗に反発して、1517年以降にルターの宗教改革運動がおこり、イギリスにおいては少し特別ですが、陰湿で残虐なヘンリー8世が妻と離婚するために、離婚を禁止していたカトリックを捨て、イングランド国教会をつくり、以後カトリックとプロテスタントは血で血を洗う争いをしてゆきます。  エリザベス1世は、このヘンリー8世の2番目の妻の子供です。

ちなみに敬虔なカトリック教徒の最初の妻キャサリンの娘マリーは、ヘンリー8世の2番目の妻アンに、その娘エリザベス1世の侍女の身分にまで貶められますが、その後1553年に女王即位を果たすと、ヘンリー8世の宗教改革を覆し、カトリック復帰を目指しました。

言われ無き罪を着せられ牢獄に閉じ込められた母親を想い、カトリックを裏切ったイングランド国教会の信徒たちへの復讐がはじまり、彼女はプロテスタントの指導者を次々と処刑してゆき、Bloody Mary (血塗れマリー)と呼ばれましたが、これがトマトベースの真っ赤なカクテル 「 ブラッディー・マリー 」 の名前の由来です。

マリーの死後、1558年にエリザベス1世が女王として即位しますが、父ヘンリー8世の政策を踏襲してイングランド国教会を支柱と死し、カトリック教徒たちを迫害し、エリザベス1世は、1570年にはローマ教皇ピウス5世から正式に破門宣告されました。  

その後、エリザベス1世は、父親譲りの残虐な性格をいかんなく発揮し、一生独身で世界の侵略に明け暮れました。


話はイギリス王室から離れますが、1618年から1848年に起こった カトリック vs プロテスタント の30年戦争では、悲惨を極めて、戦場となったドイツやボヘミア地方の人口は半分以下となってしまい、他のヨーロッパ諸国に対してドイツの発展が200年ほど遅れる結果となってしまいました。


まあ、早い話がヨーロッパの人々は、権力を持ち腐敗化してしまったカトリック教会から逃げ出したい気持ちと、宗教改革、清教徒革命やクロムェルの恐怖政治によっての、流血沙汰にうんざりしており、なるたけ平和な方法を取るべく努力していた結果 「宗教の議論はしない。 純粋に科学だけを議論する」 というムードになっていたのです。


1660年に王政復古が行われ、チャールズ2世が即位し、この王の名の下に王立学会は設立され、

「 宗教の議論はしない。 純粋に科学だけを議論する 」、 「 実験ならびに科学的データの蒐集と吟味、審査を主な仕事とする 」 という、この王立学会の規則は、こうした政治的背景で人々が平和を求め、宗教から一歩身を引いた事にあり、この規則ゆえに、この学会は人類の科学発展に大きく貢献することになってゆきます。 
 
王立学会の起源はオックスフォードの自然哲学および実験哲学に興味を持つ学者グループにあり、その主なメンバーとしては、ボイルの法則で有名なロバート・ボイル、ウィリアム・ベティ、クリストファー・レンらがいました。

この会合は1648年から始められ、1659年まで続き、主だったメンバーがロンドンに移って、1660年に王立学会を設立することになりますが、このオックスフォードのメンバー達は、薔薇十字運動を知っており、

学会の創立の中心人物であったジョン・ウィルキンズは、自著の中で 「 薔薇十字の名声 」 からの引用を行っています。


この薔薇十字の名声とは、何かというと、1614年にへっせんのカッセルで、匿名の1冊の小冊子が出版されました。  いわゆる 「 友愛団の名声 」 で、

より正確には、「世界の改革」なる小説、「友愛団の名声」、およびアダム・ハーゼルアイマーの署名のある「尊敬すべき薔薇十字友愛団への短い返答」の3文書を収録した小冊子あり、このドイツ語の冊子は大成功を収め、あっというまに版を重ね、オランダ語および英語に訳されました。

この成功に気を良くしたのか、翌15年には、 「 友愛団の名声 」 の第二版が出版され、これには 「 薔薇十字団の告白 」 なる、新たな文書が収録されており、

さらに16年には、3冊目の薔薇十字文書の 「 化学の結婚 」 が出版され、こうして、薔薇十字活動は、一気に全ヨーロッパの話題をさらい。人々に知られることになりました。

フランセス・A・イェイツによれば、この背景に、薔薇すなわちイングランド王家を旧教ハプスブルク皇帝家の支配からの救世主として迎え入れようとする大陸諸小国の願望があったとし、それから1618年にドイツを舞台とした宗教戦争「30年戦争」が勃発しています。


ドイツのクリストフ・フリードリッヒ・ニコライによれば、イギリス経験論哲学の祖といわれるフランシス・ベイコンの 「 ニュー・アトランティス 」 は、中世以来のスコラ的方法に変わって、実験と経験に基づく、新しい学問のあり方を提唱し、

そのベイコンの考え方が1662年にロイヤル・ソサイエティ(王立協会)として結実し、同時に錬金術や占星術などを通して真理を探究する 「 占星術師の結社 」 も設立され、アシュモールもこの結社に加入しており、薔薇十字団の影の演出を行っていたベイコンに、17世紀のフリーメーソンの思想的な原点を求めようとする見方があるようです。

1583年にスコットランド王にジェームス6世が就任し、彼は1603年にイングランド王ジェームス1世となり、イングランド王とスコットランド王の両方を治める最初の王となりましたが、彼はジェームス6世の時、1601年の35歳の時に、スクーン・アンド・バース・
ロッジナンバー3で、フリーメーソンに入会していています。 

私の記憶では、彼がフリーメーソンに入会した、最初の王様であったと思います。
ジェームス1世は、学識に優れ、人の才能を見抜く力のある優れた人物で、彼が見込んだのが、既にフリーメーソンとなっていたフランシスコ・ベーコンで、ベーコンにナイトの称号を与え、ウィリアム・ショウと手を携えてフリーメーソンの組織の整備を行なわせています。

イングランドかつスコットランド王がフリーメーソンになった事で、フリーメーソンは表舞台に登場する事となり、1717年に英国において、グランド・ロッジの公式開設が実現する事になりました。


フリーメーソンとは何か  まとめ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html








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