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2011/12/24

邪馬台国と卑弥呼-181  三輪山祭祀   邪馬台国と卑弥呼
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三輪山と箸墓古墳


初期の大和朝廷は地方豪族連合の指導者でありましたが、6世紀初めの継体天皇の時代から絶対権力を指向するようになります。

初期大和朝廷の時代の大王(後の天皇)が豪族をとりまとめるために行ったのが、大物主神の祭祀で、大和朝廷の本拠地である纒向遺跡のそばの三輪山でありました。
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2011/12/22

邪馬台国と卑弥呼-180  大和神社  邪馬台国と卑弥呼
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大和神社(おおやまとじんじゃ)  奈良県天理市   
http://www5.plala.or.jp/ooyamato/

大和神社は、大和一国の国御魂(くにみたま)を主神として祀る名神大社で、伊勢神宮と並ぶ最古の神社で、延喜式には「大和坐大国魂神社」と記されており、第二次大戦中世界最大の不沈戦艦といわれた戦艦「大和」は、守護神として艦上で大和神社の分霊を祀っており、大和の名はこの神社由来です。


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2011/12/18

邪馬台国と卑弥呼-179  他界妻 と YAP+(DNA)  邪馬台国と卑弥呼

天皇家の祖先は、天孫降臨の後、三代にわたり日向にいたので、これを「日向三代」と呼びます。

日向三代の一代目(瓊々杵尊ニニギノミコト)は、山の神(大山祇神)の娘(木花咲耶姫)を妻とし、二代目、三代目(彦火火出見尊・彦波瀲武盧茲草葺不合尊)は海の神(大綿津見神)の子と結婚したとされています。 これは、皇室が山や海の世界をも支配しているということを正当化するために作られた話です。


ニニギノミコトとコ ノハナサクヤヒメ
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=yBII3bPaEYM

邪馬台国と卑弥呼-152  京都御所 左近桜と右近橘 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1528.html
馬台国と卑弥呼-151  七五三
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1527.html
邪馬台国と卑弥呼-17  稲作と桜
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1264.html
邪馬台国と卑弥呼-18  富士山と桜 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1265.html

第26回さきたま火祭り 古代住居 産屋炎上
http://www.youtube.com/watch?v=pAxbuqrOp9g&feature=related
さきたま古墳と、さきたま火祭り(ハイビジョン編集作品)
http://www.youtube.com/watch?v=EawJQ2GwOjs&feature=related


さきたまの火祭りは、木花咲耶姫が瓊々杵尊から不倫を疑われ、その疑いを晴らすため、自ら産屋に火を放ち、その中で海幸彦(ウミサチヒコ)・山幸彦(ヤマサチヒコ)を無事に出産した神話からきています。


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2011/12/14

邪馬台国と卑弥呼-178  ヒルコとアマテラス  邪馬台国と卑弥呼
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ヒルコ


今日では、イザナギ・イザナミの国生み神話は、淡路島の海人族の島生み神話を母胎とし、天皇の即位儀礼の一つである八十島(やそしま)祭り、すなわち大八洲の島々の霊を招き寄せて大八洲の主としての天皇の資格を祝福する祭りを、宮廷神話と完成したものであると学者の意見は一致しています。


邪馬台国と卑弥呼-62  邪馬台国 阿波説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1310.html


さらにいうならば、私はこの海人族は、中国江南から船に乗ってやってきた苗族と考えています。


邪馬台国と卑弥呼-31  苗族の結婚と日本神話
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1278.html
邪馬台国と卑弥呼-27  苗族の天岩戸伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1274.html
邪馬台国と卑弥呼-28  自ら太伯の後と謂う
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1275.html
邪馬台国と卑弥呼-38  苗族の温家宝首相
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1285.html
邪馬台国と卑弥呼-54  呉服
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1302.html



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2011/12/11

邪馬台国と卑弥呼-177  古代日本はヒメ・ヒコ制  邪馬台国と卑弥呼

邪馬台国では、卑弥呼が祭祀をあずかり、弟が補佐役として伝令・実行していました。 このように、ヒメ(媛)とヒコ(彦)による政治統治をヒメ・ヒコ制と呼びます。 私は、卑弥呼の日本での正式な名前は、ヒメ(媛)ミコ(命)=ヒメミコであったと考えています。


邪馬台国と卑弥呼-89 卑弥呼 と ヒメヒコ制
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1422.html


さらに言うならば、邪馬台国のみならず、古代の日本は各地で、ヒメ・ヒコ制で政治が運用されていた女系社会であったと思われます。

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2011/12/5

邪馬台国と卑弥呼-176  日本への朝貢  邪馬台国と卑弥呼

実は、日本も朝鮮半島から朝貢を受けていた事が、「隋書」倭国伝や「日本書紀」に記されており、内容が一致している事から、事実と考えてよいでしょう。


邪馬台国と卑弥呼-175  朝貢と冊封
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1553.html


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2011/12/3

邪馬台国と卑弥呼-175  朝貢と冊封    邪馬台国と卑弥呼

前漢の正史「漢書」地理誌には、紀元前1世紀頃、日本列島は100以上の小国に分裂しており、漢の出先機関である楽浪郡に、定期的に貢物を献上する国があった事を記しています。

また、後漢の正史「後漢書」東夷伝には、紀元57年に倭奴国が使者を楽浪郡までではなく、後漢の都である洛陽まで派遣して朝貢し、光武帝が金印を授けた事が記録されています。

紀元107年の記事には、倭国師升(すいしょう)が安帝に奴隷160人を献上。  紀元266年には、邪馬台国が西晋に朝貢を行った事が記されています。 

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2011/11/28

邪馬台国と卑弥呼-174  纒向遺跡  邪馬台国と卑弥呼
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纒向遺跡のイメージ図


纒向遺跡は奈良県の三輪山の麓に位置し、日本書紀によれば、第十代祟神天皇の宮は「磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)」=現在は奈良県桜井市金屋、第十一代垂仁天皇の宮は「纒向珠城宮(まきむくたまきのみや)」=現在は奈良県桜井市穴師周辺、第十二代景行天皇の宮は「纒向日代宮(まきむくひしろのみや)」=現在の奈良県桜井市穴師、と記述しており、いずれも三輪山の麓に位置しています。


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2011/11/27

邪馬台国と卑弥呼-173  箸墓伝説   邪馬台国と卑弥呼
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三輪山と大神神社

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能 「三輪」


崇神紀十年の条に、孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)は大物主神の妻となるが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだという、箸墓伝説が記されています。

箸墓古墳は、彼女の墓と伝わっており、従来は箸墓古墳の築造年代は3世紀末〜4世紀初頭とされ、卑弥呼の時代と合わないとされていましたが、最近、年輪年代学や放射性炭素年代測定による科学的年代推定により、卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半である事が分かり、卑弥呼の墓の最有力とされています。

また、この箸墓古墳の後円部の大きさは直径約160メートルであり、「魏志倭人伝」の「卑弥呼死去 卑弥呼以死 大作冢 徑百余歩」と言う記述とも一致。


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2011/11/25

邪馬台国と卑弥呼-171  八咫烏と高皇産霊神  邪馬台国と卑弥呼
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八咫烏(やたがらす)


神武東征の際、高天原にいる高皇産霊神(たかみむすひのかみ)は、荒ぶる神が多いので、御子のことをご心配になり、八咫烏を遣わせ、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)を導かせました。  神倭伊波礼毘古命は八咫烏の後について進むと、吉野河の下流につき、次々と土地の豪族たちが従うようになりました。

これで、神倭伊波礼毘古命は長い東征を終え、橿原宮にて初代の天皇に即位し、神武天皇と呼ばれるようになります。 日本書紀は神武天皇の即位を紀元前660年元旦と伝えており、これを根拠に、太陰暦を太陽暦に換算したニ月十一日を「建国記念の日」としています。


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