今朝行われていたフリースタイルスキー女子ハーフパイプで小野寺選手が銅メダルを取りました。私自身、遊びでハーフパイプに入った事はありますが、まさかオリンピック種目になるとは思ってなかったし、このオリンピックで正式種目になった事も知らず(私の不勉強もありますが)テレビを見てびっくりしました。スロープスタイルに関しては詳細はわからなかったけどフリースタイル会議で少しだけ話題に上がったので名称だけは知っていましたが。
そんなことで小野寺選手の事はフリースタイルと言えども畑違いで全く知らず、そんな強い選手がいたんだとびっくりです。
だいぶ昔の話になりますが私がこのフリースタイルスキーを始めたきっかけは70年代初めの頃、友人のサーフショップでテレビを見ていたらアメリカのヘブンリーバレーあたりのコブ斜面で、もの凄いスピードで滑っているスキーヤーをホットドッグスキー(当時はそういう名称でした)と紹介しているのを見て衝撃を受けたからです。その頃、八方尾根の黒菱やウサギ平、志賀高原の丸池のAコースやジャイアント等のコブ斜面をかっ飛ぶのが好きで、そこで一番上手に滑りたいとひたすら練習していた時代です。そして数年したら日本でもモーグルの草大会が行われるようになり、自信満々エントリーしました、が所詮雪無し県のスキーヤーでは簡単に成績は残せません。悔しくて更に練習して大会と言う大会は殆ど回りなんとか成績が出るようになりました。そして1981年に志賀の法坂(現在のサンバレー)で第一回全日本フリースタイル選手権が開催されました。この頃の種目はバレー(後のアクロ)、エアリアル、モーグル、コンバインド(三種目の総合)という形で行われていました。当時は大部分の選手が何種目かやっていて金曜日はバレー、土曜日はモーグル、日曜日
はエアリアルと連日なので大変でした。私も何年かはモーグルとエアリアルの二種目エントリーしていたので結構きつかっです。
当時のモーグルのコースはコブのピッチをはかり人工的に作った現代の物とは全く違い、自然コブと言う滑って出来た不規則なコブのコースでエア台は無く、各選手が飛べそうなコブをインスペクションの時に見つけておいたり、滑っている流れの中で自然に飛んだりしていました。最近の人工的に作ったデカイエア台とは違い大きな技は入りませんが、上手く合わせて飛ぶのは難しかったし、ランディングがコブの頭に合わせなければ転倒に繋がるので結構難しかったです。そういう所を滑るので選手は皆滑るラインが違うし、それぞれ個性やスタイルがありました。
その後2002年の全日本からバレーは外され、モーグル(デュアル)、エアリアル、そして最近はスキークロスが加わった形になりました。
ソチオリンピックからは新たな種目が増えフリースタイルスキーは様変わりした感じですが、今後どのように歩んで行くのでしょうか…?
(写真は70年代初期のモーグル)


0