気が付けば3月もそろそろ中旬(←コレばっかり)、巷では花粉が飛び交っているようです。
私は花粉症ではありませんのでピンときませんが、司令長官は立派な花粉症で、御機嫌斜めの日々が始まりました(汗)
しつこい風邪に罹患して艦隊一同ダウン…、特に咳が止まらずまだ調子悪いです(泣)
皆同じ症状でして、病院で冗談混じりに
私「こんなに悪さする風邪なんて今まで経験した事ないけど、これって絶対オリンピック終わった国から得体の知れない何かが風に流されてきている影響ニダ」
医者「おお、絶対そうだよね!ったくロクでもない国だよな〜(笑)きちんと調べたデータないけど絶対そうだよね!」
私「そりでは謝罪と賠償を要求…(以下略)」
皆さんのブログにお邪魔するのもままならず、ご無礼何卒お許し下さいm(_ _)m
模型は完全停滞中、今回の記事はコメントに窮する史跡探訪ネタであります(笑)
今日は仕事で私が45年前に生まれた産院のすぐ近く。
産院はまだありましたね〜(驚)
当然、代が変わっているでしょうけど(笑)
そこからほど近い路傍に「中野区の史跡探訪」なる石標がありまして、ひっそりと佇んでおります。
「たき火の歌発祥の地」…?
「♪垣根の垣根の曲がり角…たき火だたき火だ落ち葉たき…」
子供の頃一度は口ずさんだ事がある…という方が多いと思いますが、その歌発祥の地…?
ググッてみると、
「たき火の歌」
作詞=巽聖歌
作曲=渡辺茂
によると昭和16年12月初旬、NHKラジオ「うたのおけいこ」で放送され大戦により中断、戦後復活してNHKラジオ「うたのおばさん」で再び放送されてから広く愛唱されるようになったそうです。
昭和5年頃から約13年間、この石標の近所(現在の中野区上高田4丁目)に作詞家の巽聖歌氏が居住しており、
旧家の前を通った時によく眼にした「焚き火」が詩のモチーフになりました…とあります。
恥ずかしながら、全く知りませんでした(汗)
しかし、ラジオで放送されて数日で真珠湾作戦、「国家の非常時に焚き火とはケシカラン」とばかりに軍の命令で放送中止となったそうです。
良きにつけ悪しきにつけ、開戦の華々しい戦果以降、国民の支持に後押しされた軍令部が主導権を握り日本が一気に軍国主義に傾倒…
「たき火の歌」はそんな歴史を目の当たりにした証人なのでしょうね。
そんな事を考えると感慨無量、しばし佇んで…「たき火の歌」を口ずさみました。
ちなみに石標の所在は中野区上高田1丁目17番地先、現地から坂を下って妙正寺川を渡ると⊥閣下の制空下に入ります(爆)
現在では「垣根」のある家はほとんど見当たりません。


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