早いもので今年ももう6月
今月が終わると今年の半分が経過した事になりますな

前回はザリー兵曹長にしてやられたので、今回こそラッキーユダヤであります
お昼ご飯時、何気なく新聞の投書欄に目を通す習性がありまして、
ま、市井の人々が時事の感想を語るみたいで勉強になるんであります(笑)
部分転載になりますが、
『「破綻」で思い返す、あの豪華な車』
という投書をされた方(74歳)がおられまして、
『東京大空襲で焼けた家に、アメリカの分厚いきれいな印刷のカタログがあり、国民学校での集団疎開が始まるまで毎日、見ていました。
その中に、大きくて、長い各種の乗用車のイラストがありました。
それは精緻でセンスある配色でした。
どれも皆、日本では見たこともない豪華な自動車でした。』と始まり、次の下りは実に興味深く、こう綴られています。
『…こんな車のある大国と戦争をしていて、本当に勝利できるのか、と考えていました。
人には言えませんでしたが。
やはり敗戦です。自分もすんでのことで戦災孤児になっていたかも…。
そしてやってきた、進駐軍の色々な軍用車に目を見張りました。
その格好良いこと。
「この車に負けた」と痛感しました。』
ご本人が抱かれた思いがストレートに伝わってきます。
74歳といえば昭和10年生まれ、多感な少年期に敗戦を経験されたのでしょう。
そして、
『そんな車を製造していた米大手の、昨今の経営危機の報道をずっと注視しています。
米産業のスターだったその社の深刻な経営破綻など信じられないことです。』
まさしく私にとって親の世代に当たるこの方は、最後にこう結ばれます。
『…でも詳しく記事を読むたびに、なぜか「驕る平家は久しからず」との一節が浮かんでくるのです。
少国民だった私の「大東亜戦争」が、終わったような気さえするのです。』
アメリカナイズされ尽くした私の世代と、
GMの凋落が「大東亜戦争」の終結…とおっしゃる投書主さんの世代の、
決定的ともいえる認識の違いを感じました。
同時にあと数十年すると大戦を経験された世代の方々がいなくなってしまう…
『語り継ぐ戦争』ではありませんがその時、私は次の世代に何を語れるのか…?
そんな事を考えさせられた記事でした。

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