相変わらず模型は全く停止しておりますが、腰は大分楽になってきました。
確定申告は全く手をつけていないので、そろそろ着手しないといけません(汗)
今日の新聞に中島飛行機の記事が載っていましたので更新してみます。
「軍需工場・中島飛行機武蔵製作所の名残」
『旧変電室「戦争遺産に」』
武蔵野市緑町2丁目の都立武蔵野中央公園に隣接した都営アパートの3号棟と4号棟の間にあるそうで、
都営アパートの建て替え工事に伴い、変電室の扱いがクローズアップされたそうです。
昭和19年11月から9回に及ぶ空襲で主要な工場は壊滅、その中で「変電室は鉄筋の建物としては唯一残っている」そうで、
現在は都の倉庫のほか、アパート自治会が集会室などとして使っていて、
保存を求める声が市に寄せられているそうです。
「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」が、変電室についての調査や資料集めを市に要請し、
昨年6月、保存に向けて都へ働きかけるよう市に要望書を提出。
今年1月、「市も前向きな姿勢を示す回答」、
アパート自治会も保存を求めており、3月中にも記録する会などと連名で都に要望書を出す予定。
市によると「未利用地の中にある建物だけを市が買うわけにはいかず、かといって用地全体を買う財政的な余裕はない」そうで、
今後は記録する会や自治会などと歩調を合わせ、「旧変電室を平和資料館として活用してほしい」と都に公園拡充を求めていくそうです。
記録する会事務局の秋山昌文さん(74)の話が印象的です。
「戦争中、製作所周辺には高射砲陣地があり、我々子どもたちは爆弾の雨の中を逃げまどった。旧変電室を残すことで平和につなげたい」
もうすぐ東京大空襲から65年を迎えます。
いつも思うんですが、時間の経過と共に戦争を体験した世代の方々が確実に少なくなり、戦争の認識というものが一体どうなるんだろう…
事実誤認も甚だしい自虐史観がはびこり、日本国民のアイデンティティを喪失し転落滅亡の道を突っ走るのか…
戦争経験のない指導者と軍部が暴走して、負けると分かりきった戦争に突入、歴史は二度繰り返すのか…

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