玄武洞
玄武洞の玄武岩 「アルカリかんらん石玄武岩」
生野銀山から国道312号線を豊岡に向けて車を走らせました。円山川に沿ってところどころに桜の見所があり目を楽しませてくれました。豊岡の街を抜ければまもなく玄武洞です。かつて城崎温泉や近くの山陰海岸辺りに2,3度訪れているのですが玄武洞に立ち寄れませんでした。石ころに関心を持ち出してからはぜひ行って見たい所でしたので、やっと願いがかなうわけです。
道路沿いに小高い山が近づいてきたなと思うと、そこが玄武洞のある山でした。
左手にすぐ円山川、その向こう岸に城崎温泉への道路と山陰本線、電車が走る音が川を渡ってすぐ近くに聞こえます。JR山陰線に玄武洞駅があり、駅前から円山川を渡し舟で玄武洞に渡るようになっているそうです。
柱状節理と板状節理の織り成す自然の造形、迫力満点の玄武洞
駐車場に車を止めてさっそく見学です。
坂道や階段を上っていくと、目の前に岩石の自然の芸術と思われる見事な造形が圧倒されるばかりに広がっていました。玄武洞です。
玄武岩に柱状節理とそれに直交する板状節理がみごとに発達しているのです。
玄武洞は、160万年前に起こった来日山(城崎町)の噴火によってマグマが山頂から流れ出して、それが冷えて固まる時に収縮して規則正しい割れ目をつくりだしたものなのです。約6000年前に波に洗われて姿を現し、その後、岩石が採掘されたために洞となったといわれています。
玄武洞公園の見取り図
中央にあって一番大きな玄武洞、節理が長く、美しい青龍洞、小さいけれど間近かに節理が見られ、横の節理が見事な白虎洞、羽を広げたような北・南朱雀洞、それぞれ特徴のある五つの洞が並んでいます。
手前の池(採石跡)から龍が昇る姿に似るといわれる美しく見事な節理の芸術
公園内の遊歩道や階段などには「六角石」「灘石(なだいし)」と呼ばれる玄武岩が敷かれていて、実際に手で触って観察するのに良いサンプルになります。まさに加工しなくてもそのままの形で敷石などに使えそうですし、漬物の重しにもってこいの大きさです。
玄武洞と玄武岩、名前の由来についての説明版から記録しておきます。
『文化4年(1807年)、この地を訪れた江戸時代後期の儒学者・柴野栗山は、この洞の岩石が作り出す節理の形や断面の模様などから、古代中国の四神のうち、北の守護「玄武」を連想し、「玄武洞」と命名したといわれています。
さらに明治17年(1884年)、東京帝国大学の小藤文次郎博士は、玄武洞にちなんで、同様の岩石の名称を玄武岩と名付けました。南側の青龍洞は柱状節理の形の美しさからつけられたといわれています。白虎洞・朱雀洞の名は、昭和に入ってから名付けられました。』
柱状節理の断面 放射状の模様が感じられます
玄武洞の岩石を「玄武岩」と名付けられたのですが、正式には「アルカリかんらん石玄武岩」で、細粒緻密なものです。主にかんらん石から成り、斜長石が含まれています。
水平方向に伸びる柱状節理の白虎洞 亀の甲のように見える節理の断面も面白い
横向き節理の白虎洞では、水平方向に伸びた柱状節理の断面を間近かに見ることができます。玄武洞の垂直方向に伸びた節理と比べると、細いことに気付きます。一般に、柱状節理はゆっくり冷えた所ほど太くなるので、この付近では溶岩が速く冷えたこと、つまり溶岩の周縁部に近いことが分かるようです。
小さいけれど、よくまとまっている南朱雀洞
羽をひろげた朱雀の姿に似ていることから名付けられたといわれています
1929年、京都大学の松山基範が玄武洞の岩石から世界にさきがけて地磁気の逆転を発見しました。地磁気のN極とS極が今と反対の時期があったという考え方で、大陸移動説の元になる大発見だったそうです。
こうして景観の美しさと地球科学に関する歴史を数多く有することから国の天然記念物に指定されています。
玄武洞からは、期待通りのずっしりとした感動を得ることができました。
城崎で温泉につかり一日の疲れをとりました。ちょうど桜が満開でした。


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