秋月遺跡の調査現地説明会より(2)
出土した勾玉やガラス玉など
発掘された遺物は、テントの下に展示されていました。数は少ないですがかわいらしい勾玉(まがたま)や小さなコバルト色のガラス玉に引き付けられました。それに糸を紡ぐ道具の紡錘車にも関心を持ちました。
勾玉は「滑石(かっせき)」で出来ていました。「滑石」は、蛇紋岩がマグマの熱水成分により変化した岩石です。軟質で加工しやすい特徴があり、 「ろう石」を想像していただければよいと思います(ダイヤモンドの硬度は10として、滑石は1です)。島根県の「玉造」温泉は有名ですが、そこはメノウの 勾玉を造っていて地名となったようです。メノウは石英ですから素人には無理でしょうが、滑石ならばプロの工人でなくても私たちでも仕上げることができるで しょう。
紀伊風土記の丘から龍門山あたりにかけて、東に続く山々に滑石の産地があり、このあたりで採れた石を使っているのかもしれません。
「管玉」は「碧玉(へきぎょく)」製とありますが石英と同質のもので、(石英は硬度7ですから、)こんな硬い石に糸を通すような細い穴をどのようにしてあけられるのか不思議でなりません。
「結晶片岩」製の紡錘車
「紡錘車」は、写真のように石の真ん中の穴に棒を通してコマを作り、これを回転させて繊維などに撚りをつけて糸にする道具なのです。
この石は「結晶片岩」からできているという説明がありました。よく見ると少し欠けていますが、その欠け方が板状にはがれたような割れ方(へき開) なので「結晶片岩」と判断されたのでしょう。石垣などによく使われている緑色片岩は「結晶片岩」の一種です。でもこの「紡錘車」に使われている石は緑色で なく白っぽいものです。「紅れん石片岩」に近いものか、「石英片岩」なのでしょうか。
それにしても、綿が日本に入ってきたのは8世紀ごろといわれていますから、紡錘車で撚られていたのは絹糸なのでしょうか、それとも麻などの繊維なのでしょうか、・・・。
この秋月遺跡の古墳時代を生きた人々は、岩橋古墳群に生きた人々と違ってどういう系統になるのか興味深いところです。
瓦積みの井戸跡(室町時代)

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