3年ぶりに自転車で職場に行った。昼寝をしていると携帯に電話があり「先生!急患!」、でチャリに飛び乗って吹っ飛んで行ったわけだ。この3年、自転車に乗ってなかった。どんな時も徒歩通勤。それはあるきっかけからだった。
3年前の3月、僕はタイのバンコクにいた。インターネットカフェでヤフーを開けると、ニュースの欄に、「沖縄でカヌーの3人行方不明」とあった。2名のお客を連れた、一人のガイドというメンバー構成で、3人とも行方が分からないというのだ。
帰国後、友人のイギリス人シーカヤックガイド、ジェフ・アレンにこの事故のことを伝えた。彼は、カヤッカーとして、その事故を重く受け止めるといい、さらに「海への畏敬を忘れた時に自ら悪運を引き込む」とも言った。
2ヵ月後、イギリスを訪れ、ジェフのインシデントマネージメントという講習を受けた。「jogo、出艇時にハッチが完璧に閉まってるか確認する習慣をつけろ」といって、僕のシーカヤックのハッチの閉まりを確認してから、講習はスタートした。

イギリスでは、海上レスキューは、コーストガードと海軍救難救急隊が分担している。しかし、両者でレスキューの方法に違いがありる。その違いは、助けられる側が知ってる必要があるといって、具体的にレクチャされ、講習には本物のヘリが飛んできて、シーカヤッカーを3名吊り上げていった。ヘリのホバリング下は単独シーカヤックでは、体制維持不能。必ずラフトを組むこと。

いかなる場所でも上陸、避難できるように。岸壁でも、テトラの山でも、安全に上陸する方法がある。難易度と環境と自分の実力を照らし合わせて、ベストの方法を選択する。

カヤックをコントロールするということは基本のき。船は壊しても、自分を壊すな。
沖縄の事故の後、2本の自分の足で歩けることはなんて幸せなことなんだ、と思うようになった。生きている限り、前へ前へ歩いていきたい。車輪に頼らず、自分の足で歩きたい。そして自転車に乗らなくなった。
最後に一言。ガイドの仕事はお客を連れて帰ること。これ、最低限の仕事。方法は百も千もある。技術や知識の研磨を。そしてそろそろ3年。議論(あの事故の検証、事例研究)の時はきているのではないのでしょうか?
誰にも言えないことはどうすりゃいいの?おしえて 斉藤和雄

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