
ドライレクチャー「決断」の週末の部、昨日終了しました。お付き合いいただいた、参加者の皆さん、感謝です。
第1回のレクチャーで強調したのは、わずか2点です。経験を自分のものにするために「ログブック」をつけること。そして、決断、判断の力を上げることは、最終的には自分への「信頼」を取り戻す作業なんだということ。これだけです。たったこれだけ、誰でも知ってることです。
ドライレクチャーの目的は、カヤックについてもっと考えたり、本気でやってみようぜ、というところもあるのですが、僕自身の勉強の場という側面もあります。今回、レクチャー中に出た質問には回答に窮しました。今後、僕なりにも考えて行きたいテーマです。それは、「自立的に漕ぎたいが、状況判断など必須の要素を学ぶ場がない」というものです。1月ぐらい前に、僕はこのブログにこんなことを書きました。
「この3週間で感じた、そして理解したことは、「決断」や「安全管理」はどこかで教育の中に入れ、しっかり伝えていく必要がある。そしてその責任を負ってる人がいるはずだということです。考え抜いて、行き着いた結論はこれでした。」
シーカヤックに関していうと、この責任を負っているのは、第一はシーカヤックスクールのインストラクターです。お金を受け取ってカヤッキングを教える以上、その責任が生じています。ですからユーザーや愛好者から特別のリスペクトも受けていますし、受けるに値する仕事をしています。いたって当然、疑う余地がありません。
第二は、先達(先輩、上級者)が、プロが補いきれない隙間を埋めるということです。先達といっても初心者の頃は、先輩から多くの手をかけてもらい、時間を割いてもらい、上達したはずです。先輩に恩は返せないので、後輩の面倒を見てください。これも、ある種の責任です。
サーフカヤックの場合、そのインストラクトを生業にしてる人がほとんどいないので、多くの責任が愛好家の手にゆだねられています。シーカヤックに比べ、その発展の過程で、プロがシーカヤックほど介在しなかったという側面があるかもしれません。
サーフカヤックはシーカヤックよりも安全管理に手がかかり、マスターするまでに3年はかかります。そして先輩から手をかけて育ててもらってます。だから中級以上に育ったサーフカヤッカーは、新人が現れたとき、今度は自分が面倒を見る立場に回ってください。これも海で遊ばしてもらっている以上、責任です。
昨日は、夜、寝床に入りながらこんなことを考えていました。。。
選
手は真ん中に行きたがる。カッコいいから。 岡田武史

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