どちらが正しいとか正しくないとか、いいとか悪いという話ではありません。
シーカヤックの事故が起こり続けています。完全に無くすことはできませんが、減らしたり、起こった時にダメージを最小限にする技術や方法は存在していると思っています。
一つの方法は「過去の事故例に謙虚に学ぶ」ことです。事例の中から問題点を抽出し、改善し、自分の様式や行動を変えること。誤ったものは誤っていると認め、改善する。それには、事例が公表されない限り学ぶ場がないという欠点があります。
事故事例のレポートや事実の蓄積はあるところにはあるのですが、多くは公表されません。僕は公表すべきという論陣を20年前からカヤックの世界で張っています。ですが全体的にみると劣勢で、少数派な考え方です。逆にカヤックを職業とする人やセイフティーについて指導的な立場にある人達は公表すべきでないというスタンスです。
公表しない背景には、お客さんが混乱するとか、公表することによって起こる結果に責任が持てないと考えるようです。
一番大切なのは、事故を再発させないとか、自分のお客さんに安全に楽しんでもらいたいという思いで、これは誰も否定しないでしょう。そのためのアプローチや方法に違いがあり、考え方や行動の違いが出てしまうと考えています。
幾つか言いたいのですが、一つはカヤッキングの安全について責任を負ってる立場の人がいるはずです。その人たちが責任を全うすべきであるということ。そのための努力をすること。もう一つは一人一人のパドラーヘ。もっと考えて欲しい、自分の安全と責任を。特にシーカヤッカーは船長としての責任について・・・。
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気図と自分(シーカヤッカー)はセット、車の両輪。 八幡暁

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