NHKの番組を見た。後から知り合いが出ていたことを知った。「え?、◯◯さん、PKOでカンボジアに行っていたんだ・・。」知らなかった。
カンボジアは僕にとって、考えさせられる、そして一時真剣に取り組んだ国の一つでした。30代の頃、10年かけてメコン川をファルトボートで下っていました。上流から下流に向かって休みが取れるごとに300km前後づつ下るのです。下流に向かうに従って悩み深くなるのですが、数百キロ、カンボジア領内を通らなければならないことでした。
僕がメコン川を下ったのは10年前でだいぶ平和な時代だったけど、それでも気は抜けなかった。今回の番組で、文民警官は防弾チョッキしか装備を持たず、しかも実際は内戦状態の地域に配備されたこと。闇市でAK-47(ソ連で開発された自動小銃)を15ドルで買って密かに持っていたこと。外務省は正確な情報を出さなかったこと。隊長は仕方なく「自分の身は自分で守れ」と隊員に命令していたこと。政府は自衛隊ばかり気にして、文民警察まで目を配っている余裕がなかったことが紹介されていた。2階の屋根に上がったら、はしごを外されて、自力と根性でなんとかしなさいと言われた感じ。しかも両手を縛られた状態じゃあないですか。
ボタンの掛け違いの部分もあると思います。外務省は情報を持っていたはずです。また、警察をサポートできたはずなのに、それをしなかった。おしらく、警察も政府も正確な情報をもらってなかった。
僕が気になった点をいくつか。文民警察の隊長が英語を使っていた点。これ、カンボジアではダメなんです。英語話者が極端に少ない。なぜかというとポルポト派は虐殺をしたんだけど、その対象の一つが学のある人です。眼鏡をしているだけで、よく本を読む人だろうということで殺された。ポルポトがプノンペンから退却して北東部に逃げ込んだ時、大卒者が7人しか残っていなかったと言われるほどです。外国語の分かる人は極端に少ないのです。ポルポト派の内部ならなおさらです。
情報はないにしろ、あるところにはあるものです。ポルポトは政権を奪取したとき、外国人は全員国外退去になるのですが、退去してなお、カンボジアワッチャーとなる人もできてきました。
https://www.amazon.co.jp/カンボジア・ゼロ年-フランソワ-ポンショー/dp/489772001X
隣国タイに退去後、そこに留まり、カンボジア国内から発せられるラジオ放送をすべて傍受、分析してかなり正確にポルポト派の実態を把握して行きます。ポルポト派を知るには必読の本です。
また、この本も読まずにポルポト派の領域に行くのは危険でした。
https://www.amazon.co.jp/カンボジアわが愛―生と死の1500日-内藤泰子/dp/4140081783
クメールルージュが収めたカンボジアから唯一生還した日本人、内藤素子さんの体験。これ知らずにポルポト派と関わるのは危険です。
状況を複雑化させていたのはタイの存在です。なぜ、ポルポト派が劣勢になるも壊滅できなかったか。状況が悪くなるとタイ国内に逃げ込んでいたからであり、それを黙認、恐らく支援していたのはタイ陸軍と国境警備隊です。国境を接した国々では、こういったネンゴロの関係が成立します。この関係は時に白になり、黒にもなる。今日の味方は明日の敵にもなります。
ポルポト派の情報はプノンペンにはなく、実はタイで得られるはずです。ですが、それにはタイ語とクメール語が必要で、この両者を持っているのは、日本では外務省とjicaのみです。外務省は情報収集の専門家でもあるから、知っていたと思います。
日本の文民警察もクメール語の専門家を帯同したり、勉強して行けば状況は違ったと思います。それだけで安全情報の入り方が違うのです。
10年前ですが、僕の経験を少しお話しします。僕はメコン川を下っている時に、現地の警官に2回拘束され、1回は警察署に半日軟禁されました。まず、警察の主張は「外国人は自由にカンボジア国内を旅行してはいけない。もしする場合は郡に行くごとに地元警察署でパスポートの掲示とチェックが必要だ。お前はそれを怠っている」というものでした。僕は「そのようなことは知らない。外国人に旅行の自由は保障されている」。パスポートを見せて「入国・滞在についての安全などの便宜供与を要請する」と英語で書かれた文章を見せてこれを主張しました。このとき驚いたことに、英語の文面を逆さまに見ているのです。この警官、英語どころかアルファベットも読めない・・。そこで、読めないならこっちのもの。クメール語で「日本政府はカンボジア政府に対しこの人物の旅行の自由と安全を保障すること要求する」と書いてあると説明したらぶるってしまい、郡の警察のトップを呼ぶから来るまで待ってくれということになりました。そのため半日拘束されました。その間、暇なのでこの警官とずいぶんコミニケーションを取ったのですが、この警官、クメール語の読み書きができませんでした。それに気が付いたのは、僕の書いたクメール語が全く読めなかったからです。これがカンボジアです。最終的には彼の上司と話をし、今後新しい郡に入ったら、それごとに警察に行きパスポートチェックを受ける約束をさせられて、解放されました。プノンペンの意向は地方には届いていない、地方地方で独自のルールで動いていることを実感しました。
また、隣国に情報があるという話も一つ。カンボジアではないのですが、ラオスのメコン川流域を下ろうと思っていた時、どうしても正確な地形図が手に入らない。そこでタイの国防省にあたりを付けてコミニケーションをしている、どうも隣国の正確な地形図を持っているらしい。そして、交渉して、袖の下も払い手に入れました。軍隊は隣国の正確な情報を持っているものです。交渉力と、幾ばくかのバーターを払えば(人命に関わることならいくらでも払えばいい)手にはいるもので、そのことに汚いとか、躊躇する心を持つ必要はないでしょう。
コミニケーションはとても重要で、情報収集のためには不可欠です。その手段を手に入れるために、時間やお金、努力を惜しまないこと。特に語学は日本では敷居が高いですが、海外ではそうでもありません。危険な地域に行く時は、現地語をマスターして、できれば読み書きできるレベルになってから行くこと。これだけで危険回避能力が上がります。これで何度かヤバい状況を突破した経験から、言い切れます。語学ができれば、危険情報は向こうから寄ってきます。
それにしても、こういう状況で送り込まれる方は、本当に困ってしまいますよね。リーダーを選ぶのは自分達だから、真剣に考えて選びましょうね。どうしようもない時は、いつでも逃げれる場所を作っておくこと。これはとても重要なことです。
簡
素こそは知恵の要。 ハムレット

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