メコン川を下流に向かって300〜400kmづつ降って行きました。だんだんカンボジアが近づいてきました。この国は、情報も少なく、また内戦やクメールルージュの話があり、生半可ではいけないと思っていました。河原にはまだ地雷が残っているという噂もありました。そこでカンボジア区間に入る1年前から東京の語学学校でクメール語(カンボジア語)を学び始めました。いつも行き当たりばったりな僕にしては準備が早かったと思います。タイ語→韓国語→ラオス語と継続的に勉強していたので、勢いがあって比較的短期で身についたように思います(忘れるのも早かったけど)。
地雷や局地的な治安状況を把握するため、正確な地形図は必須だったので、今までになく真剣に(命に関わると思ったので)探しました。そしてネットサーフィンをしてると耳寄りな情報が入ってきました。ក្រសួងសាធារណការនិងដឹកជញ្ជូន というところで正確な地形図を分けてくれるらしいという記述を見つけたのです。クメール語の先生に見てもらうと、「それは国の機関だね、運輸省だ」と。またか・・。
お店なら気軽に行けるのですが、国の機関はちょっと敷居が高いです。先生も、「よくわからないところだな、プノンペンに行って、直接運輸省に行かなとわからないよ」と言います。
でも、ずうずうしさは1流のワタクシです。躊躇なくカンボジアに飛び、運輸省の正門を堂々と突破、受付で「ខ្ញុំបានលឺថាមានវេជ្ជបណ្ឌិតម្នាក់ដែលជំនាញខាងផែនទីសណ្ឋានដី។ ខ្ញុំចង់ជួបអ្នកខ្ញុំមកពីប្រទេសជប៉ុន។(日本から来ました、地形図の専門の先生に会わせてください)」、と言うと、なぜかとてもいい待遇で部屋に案内されました。
地図の専門家は博士で、カンボジア内でもおそらく、一人しかいない雰囲気でした。「日本から来ました。メコン川をカヌーで降りたいので、正確な地形図と情報が欲しいです」とストライクにいうと、先生は「全面的に協力します」と言ってくれます。そして「あなたに来てもらってとても嬉しい、良かった」と言うのです。
カンボジアは長い内戦が終わり、国の発展のために道を作ったり橋をかけるために正確な地形図が必要になった。ところが、地図を作るノウハウも資金もない。そこで全面的に協力したのがJICA(国際協力機構)だ。「地図のを作るのにJICAに本当にお世話になった、だから日本の青年が来て、地図を求めてくれるのがとても嬉しい」と言っていました。
地形図を買い、地雷を含む最新情報をもらい、ラオスーカンボジア国境の町、ストゥントレインへ移動。そこからカンボジアの旅を始めました。
10月18日(日)14:00〜 「旅の話をしよう〜メコン川2」ZCCベースにて。参加費4000円(ベース会員は3000円)。コーヒー、お菓子付き。問い合わせは、 vzc00573@gmail.com まで。
10月18日(日)14:00〜 スライドショウ「メコン川(2)」 残席3
10月25日(日)14:00〜 スライドショウ「メコン川(2)」 残席3

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