鈴木バイオリン社 M−210 1973年
先日うちのおくさんと友人は谷村新司のコンサートへ出かけました。昔の話だけど、まだ谷村新司や堀内さん、きんちゃんがその名を広く知られる前(73年頃でしょうか)アリス時代の初期に東北には一度も来たことがありませんでした。
そんな28年前の昭和49年の雪に閉ざされた真冬、仲間と出資し合い竣工して間もない本荘文化会館にアリスを呼びました。その頃は「南こうせつとかぐや姫」が併走していた時代でしたが,その二年くらい前の”神田川”の大ヒットで、すでに名を上げていた為かぐや姫はギャラもずいぶん差が有り、高かった記憶があります。
そんな中、私の周囲には根っからのファンが居た事もあり「安い」アリス谷村新司を呼ぶことに決定したのです。
なんと入場料は600円でした。何人入ったろう・・1300人収容のホールへ3〜400人も入ったでしょうか。今では考えられません。
ライブ当日空が荒れて空輸の荷物が届かずに、堀内孝雄さんのフラットマンドリンが間に合いません。急遽、雪道を精一杯のスピードで近くの楽器屋さんに走り、「一曲だけ使うのだけど貸してもらえないか」交渉したのでした。
フラットでは無く、半球体の古典的なものでしたがその時の事はまだしっかり覚えています。・・・貸して、貸せないの問答の末(当然貸してくれるはずもない。お店の方は当人達の名前も知らないのだから・・)あきらめて後で支払うことに話しをつけて購入した。
しかし、そんな思い通りの楽器でもないのに、堀内さんは準備したことをたいそう喜んで、本番ではその細く柔らかなやさしい弦の響きを聞かせてくれたのでした。
その時のマンドリンは、今私の部屋の壁に下がっています。
初めて来た東北の町、本荘。谷村さんはそれを覚えてくれているだろうか。
コンサートの中では、”「本荘」ははじめてお邪魔しました”と話していたそうです。
谷村さん、一緒にソフトクリーム食べたじゃない・・・


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