ちょっと前の話になるんですが、あまりに感動したので載せたいと思います。
6月18日、『姨捨』『安宅』@観世能楽堂を観て来ました
正門別会@観世能楽堂に行って来ました。
本日は私の前師匠・坂井音重先生の『姨捨』と高橋弘氏の『安宅』です。
他に舞囃子が2番、観世清和氏『花筐』・銕之丞さんの『善知鳥』。
まずまず、敬称略しましてみなみが大好きで
彼らが出てるとつい観に行ってしまうという能楽師の列挙を…。
坂井音重・音雅・武田友志・文志・観世銕之丞・清水寛二
宝生閑・欣也・一噌幸弘・大倉源治郎・観世新九郎・亀井広忠 etc...
と、こんな感じな訳ですが、上記の人ほとんど出ています!行かないわけがありません!
チケット高かったけど、倍払ってもいいくらいの会でした!
今回席は脇正面のもっとも橋掛かりに近いところです。
まず『姨捨』。
涙が出ました。マニアックな感想ですが、どうぞ想像してみてください…。
シテが常座から橋掛かりの方に向いていまして、
そこから正に向かってすーっと音も無くねじっていきます。
そうするとね、面の左頬から徐々に光が入っていくんです…もう言葉も出ないです。
光の入った面は優しさに満ちていて、姨捨山に捨てられた身でありながら
その寂しい山に人が尋ねてきたというわずかの喜びで満ち満ちていました。わずかの喜びに満ちた面の裏には、その後確実に再びめぐってくる
一人ぼっちの淋しさを湛えていました。
後シテの白い装束は一心に月の光を吸収しているかのようで、
白髪の髪と上品な表情の面は「姨捨山」という淋しい名には不似合いなほど清らかで純潔なやわらかさを持っていて…。
無言でしおった後ずっしりと身体の重みが増したかのようにうつむくシテは、
月を見送るでもなく日の出を見るでもなく、
まるで姨捨山と同化していくかのようで…。
捨てられてことへの恨みを一切口にしない老女は装束のように真っ白。
心も身体も「純」のイメージです。
杖を突かずにきりりとした引き締まりのある老女は
一人でずっと背負ったきたものに耐えて耐えて耐え抜いて、
淋しさにも耐えて…その耐え偲ぶ強い心故に老いがとまったかのようで。
あんなに面に光を湛えつつ舞っていたのに
無言で橋掛かりをさる一足一足が恐ろしいほど重くて…もう言葉もない…。ほんとにすばらしい『姨捨』でした。
音重先生、いい歳の取り方をなさいました。
舞台は常とは切り離された場だとは言いますが、
全部が切り離されているわけではないというのが自論。
色んなものを吸収して今の音重先生があるわけで。すばらしかったです。
観世清和氏の舞囃子『花筐』。
以前『船弁慶』の舞囃子を拝見しましたが、断然『花筐』の方が好きでした!
清和さんは三・四番目が好きです。
銕之丞さんの舞囃子『善知鳥』。
濃い!wいい意味ですごい濃いです。
舞事の部分とシテ謡の強さがかっちりとはまっていてきもち良かったです。
足拍子の扱いも面白かったです。
ラスト、高橋弘氏の『安宅』。ワキは福王茂十郎氏。
まず囃子がMAXで好みです!一噌幸弘さん・観世新九郎さん・亀井広忠さん!
面白くないわけが無いです!最高です、最高!
ノットがすごいかっこよかった。小鼓のきっぱりとした入り方の間は絶品♪
それにかけてきた大鼓の入ってき方と掛け声もいいです。
幸弘さんは男舞部分で盤渉に上がってからがすごい良かったです。
上に上に音を張っていく感じが弁慶の心の強さと重なったように聞こえました。
高橋さんっておいくつくらいかな…ちょっとね弱い気はしたの…。
優しい弁慶のイメージ。押し戻しが無かったらそれはそれでありだったかも。
富樫側の間狂言がかなり強く張れる人だったからかも知れませんが
ワキもシテももっと強くてもおもしろかったかなぁと思いました。
あと勧進帳もっとやってもよかったのかも…。
ただシテとワキのバランスは良くて、観ていて飽きませんでした♪
本当にすばらしかったです。それ以上の言葉があったら教えてください。
特に『姨捨』はものすごかったです。
今までたくさんの能を観てきましたが、こんなに感動したのは初めてです。
ほんとにすばらしかった!感動冷め遣らぬ…。
能への思いが、また一つ強くなりました。

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