先日、喜多能楽堂で通小町と紅葉狩を見ました。
シテは喜多流(本当に喜多流しか見てないですね。)の塩津哲生でした。
この能の感想はとても書き辛いものです。
シテは深草の少将の怨霊です。
彼が小野小町に懸想をしますが、受け入れられない。というのが、主なストーリーと言えるでしょう。
彼の執念が舞台を成り立たせていました。
シテは傘を携えて登場します。
この傘は彼を荒天から身を守るのではなく、彼にとってはあまりにも眩しすぎる月の光、あるいは小野小町の光り輝くような美しさから身を守るために持っているとしか思えませんでした。
途中で傘を投げ捨てる(?)のは、想像を膨らませる意味深な演出だと思います。
パンフレットにも書かれていたのですが、やはりシテの身体の震えは相当なもので、それがかえってシテの思い、辛さを際立たせているようでした。
そう考えると、よく工夫された選曲だと思います。紅葉狩の後に通小町の方が良かったように思われますが。
囃子について書きますと、一噌仙幸の笛は素晴らしいものです。
囃子方が登場して、笛が鳴った瞬間、舞台が私達から遠ざかってゆくようでした。
紅葉狩は能の難しさを感じました。
能に出てくる登場人物は実のところは存在感を消そうとして、「それにもかかわらず」、存在感が立ち上って来るようにならないと、少しも能としては面白いものにはならないのです。
能から見れば人間は、人形に過ぎないのではないでしょうか。

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