2007/2/18

2 櫓の歴史 婆羅おさむ  

櫓の歴史、起源

櫓の起源は中国であると日本では考えられているようだが、そうだろうか?
櫓はインドにもパキスタン、バングラディシュにもある。
インド、インダス文明の時代にそちらで考案されて、それが中国に伝わったかもしれない。
あるいは、逆に中国で考案され、鄭和艦隊がインド、インダス方面へ
伝えたのかもしれない。
日本への櫓の伝来は遣唐使時代という説があるが、その時代よりずっと以前から
朝鮮半島経由の交易ルートがあったのだから、そのルートを通って日本に伝来したと
考えるのが自然である。

最近、知人の話によると、マレーシア、インドネシアにも櫓があるという。
写真などの証拠がなく確認していない。









櫓のカタチ

昔から櫓を作る人も、漕ぐ人も櫓のカタチ、寸法について具体的な数字をあげて
説明する人はいない。
感覚的、抽象的なことを述べるけれど、どうしてそうなのかと具体的、合理的な
理由を説明できる人はいない。
大学の先生方の櫓の研究論文を見てもさっぱり分からないものばかり。

1543年、鉄砲が種子島に伝来して以来、日本では明治になるまで鉄砲が進歩、発達
することは何もなかった。西洋では後ごめ、連発、雷管薬きょう式、撃鉄起爆、ライフル、
火薬の改良等、大いに進歩したのに。
櫓も鉄砲と同じように何も改良進歩はない。一説には櫓は江戸時代に現代あるような
形に完成されたというが、
私は、豊臣秀吉の朝鮮侵略の時代に今の形に完成したと想像している。
戦争であるから船を漕ぐ人たちは追うも逃げるも言葉どうり死に物狂いだったはず。
そんな状況では少しでも早く櫓を漕げるように考え改良するのは当然のこと。
その時代に櫓のカタチは現在見られるようなカタチになったと思う。
それ以来、現在まで櫓は何の進歩も改良もない。
三年前に土井さんが横のものを縦にした、<層流櫓>以外は。

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