2012/10/24

浦戸の鯨  
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長宗我部元親が秀吉に敗れ、土佐一国を安堵された後
浦戸に本拠地を移し、天守閣のある浦戸城に改築していた頃の
天正16年(1588)浦戸湾に20mの鯨が迷い込み
これを仕留めたそうです。
元親はこの鯨を太閤様に丸ごと お見せしようと
桧の枝葉を編んだ物で包み、大阪に船で運びました。
大阪では陸上を百人以上の人力で運び
太閤様にお見せした所 大層喜ばれた 
という記録が残っています。

どうやって運んだのかを考えています。
当時の船の記録としては
元親の最大の軍船 大黒丸が十八反帆と書き残されていますから
一反 約90cm幅の帆布を横に18枚縫い合わせた帆を上げて
いました。千石船が二十四反帆です。
大阪南港の博物館に展示されている千石船が三十数mですので
元親は鯨を乗せて運べる船は 持ってなかったので
鯨を船で曳いて大阪まで漕いだのでしょうか。
大きな舟があったとしても 鯨を船に乗せるのが
困難ですね。
追い風なら帆も使えたでしょうが、漕ぎ手は大変ですね。

この絵の鯨船は全長12mですから、
鯨は20m近くありそうです。

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