2022/3/6
ブログ終了
Teacupの都合で このブログは八月に閉鎖されます
私のウエッブサイト「土佐の和船」へ
https://wasenfunadaiku.amebaownd.com/
お越しください。
芝藤船舶設計研究室
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芝藤船舶設計研究室

2022/3/4
タナ 釘打ち
高校のソフトボール グランドの応援席の修復を頼まれて、やっているので
久しぶりの和船の作業です。
削り出していた船首近くのスマント、フレーム下辺部分をエポキシとネジで固定しました。
船首部は板の捻れが大きく変形しそうなので頑丈なスマントを取り付けました。
両舷のタナ板の位置合わせを 船首の前から見てタナ板下辺を合わせ
船体中央で左右ともトオリクギを二本打ち固定しました。
次回ははトオリクギを打っていきましょう。


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久しぶりの和船の作業です。
削り出していた船首近くのスマント、フレーム下辺部分をエポキシとネジで固定しました。
船首部は板の捻れが大きく変形しそうなので頑丈なスマントを取り付けました。
両舷のタナ板の位置合わせを 船首の前から見てタナ板下辺を合わせ
船体中央で左右ともトオリクギを二本打ち固定しました。
次回ははトオリクギを打っていきましょう。




2022/3/2
小早
秀吉が長宗我部元親に小早250艘の建造を命じた
「御舟」の資料が出て来たという記事です。
14丁から30丁艪で総矢倉の無い快速軍船を小早と呼ぶそうです。
地図の高知市浦戸湾口は浦戸港、浦戸城址のある桂浜側と
対岸の砂浜の種崎に別れます。
江戸時代には種崎に土佐藩の御船倉があり
同級生の祖先が舟倉奉行をしており資料も沢山残っていました。
私が和船を係留している干州堀(カンスボリ)は舟たで所で
今も昔の形を残しています。
明治時代には種崎の砂浜で三本マストの大型西洋丸型帆船を
三つの造船所が建造した写真が残っています。
長宗我部元親の頃も種崎の砂浜で小早を250艘建造したのでしょう。
https://www.google.co.jp/maps/@33.5055412,133.5636578,1586m/data=!3m1!1e3?hl=ja
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「御舟」の資料が出て来たという記事です。
14丁から30丁艪で総矢倉の無い快速軍船を小早と呼ぶそうです。
地図の高知市浦戸湾口は浦戸港、浦戸城址のある桂浜側と
対岸の砂浜の種崎に別れます。
江戸時代には種崎に土佐藩の御船倉があり
同級生の祖先が舟倉奉行をしており資料も沢山残っていました。
私が和船を係留している干州堀(カンスボリ)は舟たで所で
今も昔の形を残しています。
明治時代には種崎の砂浜で三本マストの大型西洋丸型帆船を
三つの造船所が建造した写真が残っています。
長宗我部元親の頃も種崎の砂浜で小早を250艘建造したのでしょう。
https://www.google.co.jp/maps/@33.5055412,133.5636578,1586m/data=!3m1!1e3?hl=ja


2022/3/2
設計図
船体の補強フレームや甲板、マスト周り等どうしようかと
簡単な図を描いて考えています。
配置は船体中央部、お客さんが座る場所をゆったり広くしてみます。

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簡単な図を描いて考えています。
配置は船体中央部、お客さんが座る場所をゆったり広くしてみます。



2022/2/12
水押修正
タナ板先端はカジキに重ねて固定するようにしました。そのための水押の修正作業をしています。
船首甲板後端に頑丈な30mm檜のスマント、バルクヘッドを付けて船体の変形を防ぐのですが
3方向に湾曲したカジキ板にスマント両端をぴったり合わせられず隙間が出来てしまいました。
作り直しでは 型板を作って切り出すようにしましょう。
タナ板の最後尾が少し足りないので 矧ぎ合わせをしました。
タイトボンドで接着してステンのネジでオトシクギの代用をしています。
杉の木目まで合わすことは出来ませんでした。


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船首甲板後端に頑丈な30mm檜のスマント、バルクヘッドを付けて船体の変形を防ぐのですが
3方向に湾曲したカジキ板にスマント両端をぴったり合わせられず隙間が出来てしまいました。
作り直しでは 型板を作って切り出すようにしましょう。
タナ板の最後尾が少し足りないので 矧ぎ合わせをしました。
タイトボンドで接着してステンのネジでオトシクギの代用をしています。
杉の木目まで合わすことは出来ませんでした。



