ちょっとした縁があって、少年時代から育った地域に立ち寄ってみました。
今住んでいる所からそう遠くは無いのですが、何かの縁がなければ立ち寄れない・・私にとっては苦い想い出しかない浮かばない地域です。
しかし、それを断ち切って大地に立ってみると、さすがに懐かしさがこみ上げてきました。【広島市安佐北区高陽町下深川】
私が住んでいた頃とは雲泥の差の、発展した町になっていました。
―写真が判りにくいかもしれないが、高揚団地のフジ方面から中島方面に抜ける道路です。
よく観ると写っている車の上くらいにフジの看板が見えます。―
現在、広島市のベッドタウンとしてなくてはならなくなった、広大な高陽団地群・・・
私が子供の頃は、現在の高陽ABC団地とも住居さえ無く、全て深い山で覆われていました。
おばあちゃんが、小さい頃あの山には鬼が住んでいるから、絶対に入ってはいけないと話してくれました。
子供が山に入り込むと、探すのも困難になるほどの深い山だったのです。
それでも昔は焼場があり、墓所が有って、飼っていた犬が死ぬと、小学生の低学年頃自転車の後ろの荷台に載せて、墓に埋めてきてくれとおばあちゃんに頼まれ、夕暮れ時に一キロ近い道のりを一人で自転車を押して歩いたことを覚えています。
今の子供ならできないでしょうね、いや、親がさせないでしょうね。
小学校の低学年から中学を卒業するまで、毎朝6時前に起きて、新聞配達をしてその後小学校まで二キロ歩いて通学です。
毎日の繰り返しでした・・・
せめてもの遊びといえば、兄と一緒に山で切って来た樹の幹で手作りのバットを作り、川原で石を打ちどちらが多く向こう岸に打ち込むかという競争です。
その川原の淵に立って、また様変わりの様子に感慨に耽りました。
川幅が狭くなり、以前は見渡す限り石ころの川原だったところに、草や大きな樹が繁って見る影も無くなっていました。
子供の頃は裸足で遊びに降りた川原が、今は頑丈な靴を履いて降りないと足を怪我するかも知れない、どんな害虫がいるかも知れない。
だんだんと自然が遊び場でなくなってしまってますね。
まだ小学生の頃は何処の川でも水泳ができたが、或る時たった一人の不注意者の不慮の死で水泳を禁止された。
遊びの中で危険を経験する事によって、察知して防ぐという方法を禁じられ、危険な事を一切させないという過保護法に変わってゆく!
ちょうど子供がナイフを持って自分で怪我をして、今度は怪我をしないように使う事が出来るのを、怪我をするから使わせないというのと同じだ。
持たせなければ上達しないから、いざ使おうとすると大怪我をする。
世の流れはこれで正しいのかねぇ〜〜
事なかれ主義で突き進んで、ほんとにいいのだろうか?
ちょうど反対側を観るとユーホーのような近代的な建物ができていた・・安佐北区体育館だったかな?
これも過保護施設か? 安全な所でしか活動させないという・・・


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