その日も、いつものように一人でバスに乗り、車掌さんの後ろに座った。
いつもと違うのは、バスに乗る前に、
駄菓子屋さんでプラスチックの望遠鏡を買ったことだ。
黒の、伸び縮みする望遠鏡。いくらだったのか?
クジで当たったのかも知れない。
駄菓子屋のクジは得意だった。
タコ糸のついた飴を、飴の方から引っ張るなんて事は日常茶飯事だったが、それだけではない。
前に、小3の頃だが、いつものように校庭で待ち合わせたボクは、家にランドセルを置き、駄菓子屋に行った。
何かのクジを引き、
一等賞。
それは、
粉末オレンジジュースの徳用袋だった。
これから学校の校庭に行くのである。
嬉しさよりも邪魔くささが先にたった。
それを持ち、友達のいる学校に行き、得意そうにそれを見せた。
みんなで舐めたり、口に入れて水道の蛇口から直接水を飲んだり、夕方までには全員口の周りが真っ赤に変わっていたよ。
そう
望遠鏡である。
バッグからそれを取り出し、撫で回していた。
そして、バスの中から窓越しに景色をみたり、運転手さんの手元を見たり、当然女性車掌さんのオシリをどアップで見たり・・・。
ほんとうに子供らしい時間を過ごしていた。
バスが揺れたのか、何かの拍子で
望遠鏡が手元から落ち、バスの中をコロコロと転げて行った。
ボクはあわててその後を這うように追いかけた。
その時である。
バスの床の(木製の板)
オイルのような匂いが刺激し、身体のバランスを崩したたのとあいまって、忘れていた車酔いの感覚が、一気に戻って来たのだった。
ボクはがんがんするアタマと、気持ちの悪さのまま、
Sのバス停を車掌さんに告げるのを忘れていた。
はっと気づいた時には、車掌さんがボクに
「気持ち悪いの?ここで降りないの?」と、声を掛けてくれた。
ボクは、
青い顔をして押し黙っていた。
バスはSのバス停を過ぎると、教会の前を通り過ぎ、踏切を渡ってT駅に着く路線だった。
Sのバス停を過ぎても、ボクはどうして良いか分からなかった。
車掌さんが、運転手さんに話しているのが見えた。
そして、バスが教会前を通りかかった時である。
バスが教会前で停まった。
車掌さんが、運転手さんにそうして貰ったのだろう・・・。
ボクは黙ったままバスを降り、誰もいない家に帰った。バスを降りて数歩のところが家だった。
夜になり、そのことを
家族に得意そうに語った。すっかり車酔いのことは忘れていた。
それから数日の後に、「カトリック教会前」というバス停が出来た。
そう、ひそかにボクがつくったバス停だ、といつまでも心の中で輝いていた。
車酔いの朦朧とするなかで車掌さんが運転手さんと話している後姿を、今でも思い出すのだ。お礼を言わずに降りたんだろうな・・・。
*T駅から教会まで歩いてくる人も多く、またボク達兄弟が、幹線道路をバス停まで歩くのは危険だというバス会社の配慮(町営じゃなくて、○○交通だったのかな?)、教会の方の交渉があったことは言うまでも無い。

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