カリキュラム・・・2
さて、一応道具も揃い、全体的なオリエンテーリングも終了。
さあ、待ちに待った粘土との対面だ。
初めて粘土に触る、ナドと言うと完全にバカにされるので、人の扱いを眺めている。
既に何年かやっていて、なんで指導所などにくるのかな?と思わせる奴も居たりするから、よく解らない。
菊練り。
一体の粘土から、空気を出す、そしてロクロに据え付けるための玉を作るわけだ。今は10キロぐらいだが、出だしは2キロじゃなかったか。
これが難しい。
空気を抜き、ロクロにすえつけるために練るのだが、むしろ、ドンドン空気を入れてゆく作業になってしまう!
また球どころか、グランドの隅に忘れられた去年のラグビーボールのように、でこぼこ楕円になってゆくのだった。
そして出来る奴は既に、第一段階の「小鉢」成形など難なくこなし、顔に笑みなど浮かべているのだった。
菊練りはすぐに出来るというものではない。
中には、コレが出来ないとロクロ成形は出来ない!とばかりに、菊練りばっかり意地で何日もやっているヤツも居る。
それ、楽しくね〜だろっ!と思いながらも、少なくとも私より上のレベルなんだからと、見ていた。
一年間ロクロ研修をさせてもらう。つまり、一日に何本かの菊練りをする。一年後には、それなりにまとまるんじゃないのか?
サラリーマン上がりの姑息な計算で、ボクもロクロに玉を乗せ、
電動ロクロのスィッチを入れてみたのだった!
俗に、三日、三月、三年と申しますわね。
ロクロに初めて正対したボクは、その全くの不制御さに、
三時間でやめよう!いいわけ考えて事務所に行って、辞めよう!この歳じゃ無理だわっ。東京でまた面白おかしく・・・などとマジ思いながらその日は終了したのだった。
ソンナ出来なさ&脱落指向が、5月の中ごろ迄続くのだった。
時は、初夏。
笠間の光は、そんな悩めるもののために輝き続けるのだった。
ロクロは、回転してるわけだから、身体をいかにフィックスできるかが、POINT!
これには、テクニック無い。身体を作ってゆかなければならない。同じアイテム「小鉢」ならそれだけを、3ヶ月とかやる。固定した両腕、そしてそこから手のひらを、指を、コテを使い広げてゆく作業、これがロクロだ。だから、自由にやっては上達しないんだよね。
ある一定の行動で体力、技術を獲得する。その、辛さから、楽しく動作を開放してしまっては修行とは言えない・・・。
さて、どうにかミットモナイ「小鉢」を出来る様になって来ると、次は「切立湯呑み」きったち、という伝統的な言い方の、立ち上がった湯のみの研修に入る。「小鉢」が柔らかく外に広がる形、きったちは上に立ち上げてゆく形な訳だ。
これが、難しい!
出来るヤツは、既に何課題か先をやっており、全く余裕の無いボクは、「ああっ、アンナ事がいつかは、おれにも、できるんだろうか・・・?」
とにかく、直立しないんだ、これが。たとえるのはウザイんで止めるが、よくもデコボコな湯呑みができるもんだ、というぐらいだ。六月の半ばぐらいまでこんな状態だった。
この間、既に一回ぐらい窯を焚いただろうか?あまりのおぞましさに、
「焼き物には罪はナイハッ!」などという女どもの批判を背に受けながら、大量の素焼きを裏の処分場でほとんど割ってしまった。
しかし、そんな私にも変化が訪れた!
身体が、一瞬粘土と同化したような感覚があった。出来はともかくね。
ロクロの上達論としては、だんだんに、STEP BY STEP、 DAY BY DAY、という言葉よりも、ある日突然に出来る様になるのだ。
溜まっていた技術が突然「アレッ、ヒトリデデキタッ!」という体験を味わせてくれる。コレが不思議だ!
まあ、錯覚であろうともそういう体験が、既にのめり込みはじめの症状なのだ。ここまでで3ヶ月ぐらい・・・
ひょっとしてやって行けるかな?この世界で・・・。と、簡単に確信してしまうボクなのだった!
菊練り、依然としてダメッ!
そろそろ7月、夏は目の前だ。
ボクは、夏休み、新潟釣行を考えていた。
少し慣れたぐらいでこの計画、そう更にそんなボクに
最大の転機が訪れるのだった!
次回を待たれよ!

コレは、土錬機。
粘土を合わせるのに使う。
真空土錬機というのもある。菊練りしなくてもそのままロクロに乗せられる。当然高価だ!
竹べら、カンナ(帯鉄)、削り用とんぼ(ハンガー)、印等。
削り作業。
少し省いたが、この作業は重要だ。
かっこ悪いロクロ成形のものも、削りでどうにかなる事もある。出来のいいロクロ成形分を、削りで壊す事もある。
極論すれば、これだけで仕事している人もいるのだから。
削りの練習をするためには、成形分が何十個かないと出来ないわけだ。それも覚束ないのに、なかなか到達できないもどかしさ、焦り、しかし慣れてくると削りは最終仕上げなんで、楽しくなってくるのだ。
隣の女子は、ロクロが上手で、「削らないロクロがしたい!」などと究極の話をするのだった。つまり、茶碗の裏竹べらで一削り、が理想なのだ。そこで、ラリマン上がりのひねくれた私は、そうか、逆に削りを活かした形もありだなっ!と発想するのだった。
*指導所開闢以来、入所して粘土初めて触ったやつはボクだけです・・・。
ネゴシエーションの賜物?

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