本格的に忙しくなる前に・・・
島根の彼女の実家を出て、中国地方を走り、またその実家に寄せてもらったのは4日目ぐらいだった。
それは予定外だった。
そのまま敦賀方面へ旅をするつもりだったからだ。
別れた犬に会いたくなった。
それと、広島の食堂でみた新聞記事に惹かれた。
船通山
実家の町にある山だった。
そうか、あの町をボクは探索してないな・・・
歴史のある町なのにな・・・
船が通る山か・・・
頂上に赤い鳥居だけが立つその写真に惹きつけられた。
ある夕方、実家に行ってみた。
また泊めて欲しい、と言った。
姉夫婦は少し驚いたようだが、迷惑がらずボクを泊めてくれた。
犬も再会を喜んでいたようだ。
その日からボクは四日間その家に泊まった。
妹の手前、遠路はるばる犬を連れてきた男を無下に扱う事も出来なかったのだろう。
翌日犬を連れて船通山に登った。
それは気持ちの良いハイキングだった。
そのまま午後は松本清張「砂の器」で出てくる亀嵩に蕎麦を食べに行った。
そんな旅行者気分でいた翌々日、嵐になった。
風が吹き荒れ、その古い家ががたがたと揺れた。
姉さんの旦那さんと酒を呑んでいたが、なんとなくそわそわして早々に寝てしまった。
風の音で、
夜中の二時ごろに目を覚ました。
トイレに行きたくなった。
離れの便所に行くためには土間に降り、靴を履いてその玄関の重いガラスの引き戸を開けて、外に出なければならなかった。
少し嫌な気がした。
彼女の話を思い出したからだ。
そんな時に限って思い出すものだ。
風の音、木々の揺れる音で物音が聞こえない。
ガラス戸に映し出される揺れる枝も街灯の光の影となって、少しおどろおどろしく、玄関の外に出るのをためらわせる雰囲気だった。
この土間から外に出たら・・・
亡くなった母の方に行っていたら・・・
この土間、この玄関の話と思うと、真実味が増した。
街灯の明かりが揺れている・・・。
ボクは大きい方がしたかったので便所に行かざるをえなかったんだ。
玄関を出て、数メートルしか離れていない便所に行った。
強風で離れの便所ごと吹き飛ばされそうだった。
ボクは風で開いてバタバタしている扉を手でおさえながら用を足した。
最後は誰もいないから、扉なんかどうでもいいや〜、とバタバタ開閉する扉を放って置いた。
誰も来ね〜よ!・・・深夜の二時に・・・
その時だった。
続く

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