引越しは雨だった。
距離的に10キロぐらいなものだから、少しずつ運ぶ。
意外にコレが疲れた。
友人Tに協力を仰いだ。
I町はボクを育ててくれたところだ。
そう思うと少し寂しかった。
お決まりのタオルを買って挨拶回り。
みんなの世話になった。
I町は焼きモノの産地ではないため、逆にみんな興味を持って協力してくれた。いろんなヒトが来た。
引越しが大体終わり、大家のところに挨拶に行った。
大家のばぁ〜ちゃんだ。
この前鬼怒川に老人会で陶ちゃん(違うけど)の笠間の家の前通ったんだ!ず〜とバスの窓から見てたら、何見てんの〜、て声かけられて、うちで家借りて焼きモノやってきたヒトがあそこに家建てたんだァ〜
て、言ったんだよ〜
上〜のほうに建ってる家だよなぁ〜?
そう言ったとたんに涙を流した。
大家のば〜ちゃんは息子の反対を押し切ってボクに家を貸してくれたヒトだ。それは、彼女が焼き物好きだったからだ。
冬に野焼き・・・縄文土器風の焚き火で焼く方法・・・をやった時もば〜ちゃんは正に縄文の火焔土器と見まごう大作を作ってきた。
器用なのである。
花が好きで、畑仕事も大好き・・・。
この地域では漬物名人とまで言われているヒトだった。
大家の家は、ボクの独立時からの器が食器棚に並んでいる。
それは出来が悪く恥ずかしくもあるのだが、なんだか勢いと圧倒的な数量・バリエーションが何かを主張しているのだ。
正月に来るよ
笠間に遊びに来てよ・・・
本当にお世話になりました・・・8年間?早かったね・・・
そういって出ようすると、ば〜ちゃんはいつものように、漬物を包んで持たせてくれた。
最初はぶつかりもしたけど、優しいヒトだった。
各家にも挨拶回りをし、みんな一様に喜んでくれて送り出してくれた。
笠間である。
まだ一部工事中なのだ。母屋に住めはするけれど。
家具、カーテン、TV設置・・・その他I町では一切買わなかったわけだから、ここで一気に買い揃えた。
やる事が多かった。
そんなまだ生活が始まっていない9月のある日・・・意外なヒトがやってきた。
続く

0