ゆとりという事  日々雑記

休職生活に入って大体2カ月…
その間入院もしたし、本格的な長期治療も始まったし、それに伴い体調も上下動しているし、と決して万全ではないわけですが、取り敢えず現時点で、「時間」は基本的に「自分の為に使える」という状況です。
御陰で4月上旬辺りは、本当に病人か!?というような感じ(ツイッター参照w)でした。
今はちょっと、そこまで元気ではないので無理ですけど。

で、ふと思ったこと。
自分、親に対する「当たり」が柔らかくなったかもしれない。
仕事で忙しいときとか、特にコロナ対応で修羅場っていたときとか、本当に時間的にも気持ち的にもゆとりがなくて(この辺の話も以前ブログで書いた憶えが…)、親がやることに対しても「なんでそんなことするの?」「どうして頼んだことができてないの??」というとげとげしい感じで、会話も気持ちがささくれているときつめの単語がとんだりしていたんです。
「自分は仕事で大変なんだから!」という感情が先に立ってしまっていて。
でも今は、もう少しゆっくりと時間が流れているというか、自分もそういうスローテンポでしか生活できないので、一緒に動いているというか。
ずっと家にいるので、会話も増えたしね。
これは兄夫婦との付き合い方にも言えるわけで。
何か今やっと、家族としてちゃんと向き合っている気がしています。
いや、他家族の話とか聞くと、今まででも別に仲が悪い家族ではなかったんですが。
自分の病気のこともあって、まぁ非常に申し訳ない気持ちもあるので、一歩引いて家族と接しているからかもしれません…って、今までどんだけ上から目線で家族と接してたんや…
猛省

今動ける状態のときに、空いている時間を使って少しずつ部屋の整理をやっていますが、高く積まれた紙の山の殆どが「そのまま可燃ごみに出してはいけない代物」だったりして(大学関係の書類とか書類とか)、これはもう溶解サービスしか選択肢が無い奴 orz
そしてその間にはさまったり底の方から発掘される昔の生原稿類(主に同人関係)…どうしてくれよう……。
ぶっちゃけ仕事の原稿も、どうしたらいいのか悩んでいます。
こんな隅っこ作家の原稿……版権とかそういうレベルでもないしなぁ……(でも捨てられるのは嫌だな…)。



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